「正社員=安泰」「平均的な人生=幸せ」。そんな神話が崩れた現代社会で、企業任せ・家族任せの生き方はリスクに変わった。AIが急速に仕事を置き換える時代に必要なのは、学び続け、自分の人生の舵を自ら取れる力である。もし明日会社がなくなったら、自分は“個として”生きていけるか──その問いがすべての世代に突きつけられている。
社会学者・山田昌弘さんの『単身リスク 「100年人生」をどう生きるか』(朝日新書)より一部抜粋・再構成してお届けする。
AI時代に求められる自ら学び続ける力
老いも若きも、まずは〝平均点の人生〞という幻想から解き放たれることが重要だ。かつて「1億総中流社会」と呼ばれた時代には、幸せのテンプレートのようなモデルケースが存在していた。しかし現在では、いわゆる「標準的な人生」、つまり昭和型の「伝統的ライフコース」をなぞること自体が、かえって重いコストを伴う時代になっている。
学業に励み、良い大学に入り、安定した正社員の職に就く。30歳前後で結婚し、子どもを持ち、妻は家庭に、夫は職場に│。そしてそのまま65歳で定年を迎え、悠々自適な引退生活を送る。こうした人生設計は、今や「常識」ではなく、「希少種」に近い。
そもそも「平均点」とは、誰もが取れるものではないことはすでに見てきた通りだ。むしろ、そうしたモデルになんとか自分を当てはめようと努力し続けること自体が、多くの人にとって報われない徒労になりかねない時代である。
現実には努力しても届かない人が大多数であり、届いたとしても、それを維持し続けるのはさらに困難だ。労力やコストを注ぎ込むべき場所を、私たちは間違えてはいないだろうか。
だからといって、私が『希望格差社会、それから』で述べたように、推し活などバーチャルなものだけに努力を注ぐのも良いとは思えない。
だからこそこれから社会に出る若者たち、あるいは今まさに働いている現役世代には、声を大にして伝えたい。「家族」はもちろん、「企業」も人生の依存先にしないことが大切だと。
「正社員になれば一生安泰」「会社が育ててくれる」「定年まで勤め上げれば安心」│こうした考え方は、すでに過去の遺物となりつつある。たとえ安定した職に就いていたとしても、それを失う可能性はかつてよりもずっと高くなっている。「就職=ゴール」ではない。企業に頼らず、「一個人」としてどう生きるか。その視点を持ったキャリア形成が必要だ。
もちろん、「企業に就職するな」ということではない。そうではなく、「来年にはこの会社を離れているかもしれない」という意識で、自分のスキルや知識をアップデートし続けてほしい。もしかしたら結果的に一つの企業に勤め続けるかもしれないが、学び続ける社員とそうでない社員の能力の差はどんどん開いていくはずだ。
「AIに使われる人間」にはなってほしくない
就職活動中の学生から「AIでエントリーシートをつくりました」という声を聞くことも増えてきた。AIの活用は時代の流れであり、それ自体を否定するつもりはない。しかし、そこで言いたいのは、くれぐれも「AIに使われる人間」にはなってほしくないということだ。
大切なのは、AIを使いこなし、その力を創造的に活用できる人間になること。そして、AIに任せたことでできた時間や思考の余白は、どうか自分自身のより豊かな学びや人生の選択に充ててほしい。
正直、AIが書いたレポートや論文のほうが、学生が苦心して書いたものよりも読みやすく、構成も整っているというケースが少なくない。だがそこには「個性」や「学び」は存在しない。なによりも大学卒の新人ホワイトカラーが担っていた仕事の多くは、これからAIに代替されていくだろう。
学生時代に自分がラクしたツケは、将来の仕事の場面で払うことになるのだ。企業はかつての就職氷河期に、非正規雇用者や海外の安価な労働力を使ったほうが、短期的に容易に稼げることを知ってしまっている。今後は、莫大な人材コストを投入して人間を雇うより、年間契約でAIを使い倒したほうが、よほど効率が良いことに気づいていくだろう。
だが、企業側もそうした短絡的な採用は、いずれ自分の首を絞めることにつながることを理解してほしい。当面の効率性を優先したい気持ちはわかるが、若い人間をしっかり育てていく意識とコストを理解してほしい。そして働き手である若者には、自ら学び続ける姿勢を持ってほしい。
「本気で勉強したのは、大学受験までだった」という人もいるかもしれないが、それではこの先の人生100年時代を乗り切ることは難しい。「AIのおかげでレポート作成が楽になった」と喜んでいるだけではいけないのだ。AIが優れている点の一つは、まさに「自ら学習し続ける」ことなのだから。

