約10年続いた未曾有の分裂抗争が突如として幕を下ろし、沈黙を続ける敵対組織とは対照的に、六代目山口組は大幅な組織刷新に着手する。中でも特に大きな波紋を呼んだのが、髙山若頭の相談役就任と竹内新若頭の誕生だった。ジャーナリストが言う。
「山口組の若頭は、組織の運営方針を決定するナンバー2。05年の司組長就任以来、その席についていた髙山相談役の退任は、明らかな組織の若返りを意味します。そしてその後8月までにさらに刷新が図られ、若頭補佐全員が分裂抗争の勃発以降に執行部入りした新世代の指導体制が誕生したのです」
その間、7月には津田力若頭補佐(四代目倉本組組長)の急逝という奇禍が六代目山口組を襲う。中田若頭補佐は、津田若頭補佐が務めた大阪南ブロック長の後任として、ブロック長代理に就任。その肩で、さらなる責任を担うことになったのだ。
だがそれでも中田若頭補佐は、執行部に加わって以降、組織間の外交や組の慶弔事の現場にもたびたび足を運び、汗をかいている。
「特に山健組が分裂以前からも深い交誼で結ばれてきた、住吉会系組織との関係は復帰後も変わらず維持されとる。六代目山口組としても、心強いことやろうな」(別の地元組織関係者)
今年3月5日、中田若頭補佐の「覚悟」がうかがえるある出来事があった。山本健一初代が眠る墓園に、生誕百年を記念する石碑が建立され、同時に新たな墓石を建て、「開眼供養」が執り行われたのだ。
石碑は、神戸市内の霊園にある山本初代の墓の隣にあった。「初代山健組々長 山本健一親分 御生誕百年記念之碑」と記され、五代目山健組全直参の名前と山本初代が提唱した「捨身取仁」という言葉も刻まれている。
「己の身を捨てて、仁を選ぶ」。日本一の親分である田岡三代目の、日本一の子分になることを標榜していた山本初代ならではの言葉だろう。だが、覚悟の強さならば中田若頭補佐も劣ってはいない。この日に入魂式を行った新しい墓石は、なんと中田若頭補佐の「生前墓」だったのだ。
「偉大な初代の生誕百年という節目の年に、こうしてみずからの墓も建てた。まさに捨身取仁の精神で山健組、そして六代目山口組のために貢献する、ということやろ」(地元関係者)
約5年の勾留を経て躍動する中田若頭補佐だが、近い将来には銃撃事件の「控訴審」も待ち構えている。検察側が一審の無罪判決を覆すべく、新証拠を提示して徹底抗戦することはまず間違いなく、いまだ予断を許さない。その身を取り巻く激流は、さらに激しさを増すのだろうか─。

