先日行なわれたWEC(世界耐久選手権)最終戦で、プロドライバーとしてのキャリアに終止符を打ったジェンソン・バトンが、自身のキャリアの中で特に印象に残った4台のF1マシンを挙げた。
バトンは2000年にウイリアムズからF1デビュー。2009年には悲願のF1チャンピオンに輝き、その後スーパーGTでもタイトルを獲得。NASCARやエクストリームE、そしてラリークロスなど、様々なシリーズに参戦した。
そして先日、そのキャリアに終止符を打った。
「2000年にウイリアムズのドライバーに抜擢され、フランク(ウイリアムズ)のオフィスを訪れた時、『君はF1ドライバーになるんだ!』と言ってもらったんだ。本当に最高だったよ」
バトンはそう自身のキャリアについて振り返り始めた。
「初めての表彰台は2004年(マレーシアGP)だった。とても興奮したよ。そして初優勝は2006年(ハンガリーGP)、そして2009年にF1チャンピオンになったことも忘れられない」
「そして2018年にはスーパーGTでもチャンピオンになれた。どんな選手権でも、チャンピオンになった時の感動とアドレナリンは変わらない。だから、本当に特別な瞬間だった」
キャリア終盤はWECを主戦場とし、ポルシェやキャデラックなどのマシンを駆った。また、NASCARをベースとしたマシンで、ル・マン24時間レースに参戦したこともあった。
バトンの記憶に残るF1マシン4台
そんなバトンに、記憶に残るF1マシンについて尋ねてみた。彼はチャンピオンに辿り着いたものの、そのキャリアは順風満帆なものではなかった。
前述の通り2000年にウイリアムズからF1デビューを果たしたバトンは、後にルノーとなるベネトンへと移籍し、2年契約を結んだ。そして2003年にはBARホンダに移籍し、その翌年となる2004年にはそのスピードが開花した。
BAR006は素晴らしい速さを持ったマシンであり、バトンは18戦中10戦で表彰台を獲得。ドライバーズランキングでは3位になった。コンストラクターズランキングでも、チームメイトの佐藤琢磨と共にポイントを重ね、2位となった。
翌2005年はシーズン序盤は厳しい戦いを強いられ、さらに燃料タンク問題で失格と2戦出場停止の処分を受けた。シーズン後半は安定した走りを見せたものの、表彰台は2回止まり。ランキングは9位だった。
2006年からチームがホンダのワークスチームに。この年のハンガリーGPでは、悪天候の中奮闘して自身初の勝利を手にした。
ただ2007年と2008年は、ホンダのマシンの出来が悪く低迷。しかもリーマンショックの影響により、ホンダは2008年限りで突如F1を撤退してしまった。
これでバトンは路頭に迷うかと見られたが、撤退したホンダのF1チームをロス・ブラウンが引き継ぎ、ブラウンGPとして再始動した。ホンダ時代に開発されていたBGP001と名付けられたマシンには、メルセデスエンジンが搭載された。
このBGP001が走り始めると、ものすごいパフォーマンスを披露。バトンは開幕7戦中6勝を挙げるなど活躍し、チャンピオンに輝いた。
翌年からはマクラーレンに移籍し、チャンピオンには届かなかったもののコンスタントに優勝や表彰台を獲得。優勝回数は通算15勝である。
「僕にとって最高のマシンは、2011年のマクラーレン(MP4-26)だね。このF1マシンは、これまでドライブした中で最高のマシンと言えるだろう」
そうバトンは語った。
「そしてフィーリングという面で言えば、おそらく2004年のBARホンダ(006)かもしれない。フレキシブル・リヤウイングを備えていて、エンジンはV10だった。ドライブしていて、本当に気持ちのいいマシンだった。フェラーリほどは速くなかったけど、とにかくドライブしていて気持ちがいいんだ。でも表彰台には10回上がったけど、優勝はできなかった」
「そしてブラウンGP(BGP001)だ。面白いのは、みんなが『BGP001が、君がドライブした中で最高のマシンだったに違いない』って言うことだね」
「でも2009年はレギュレーションが変更され、ダウンフォースが減った。ブラウンのマシンは他に比べて優れていたものの、実はそれほど速くなかった。弱点もあったしね。でも確かに、あのマシンとの思い出は素晴らしいよ」
「そして初めてのF1マシン、ウイリアムズFW22は本当に特別なマシンだった。何も問題がなかったんだ。ドライブしていて、まるで大きなゴーカートのように気持ちがよかったんだ。去年、シルバーストンで実際にあのマシンをドライブする機会があったんだけど、最高だったね」

