フリースキーシーンのアイコンとして活躍しながらも、突如スノーボードへの傾倒を深めたSean Pettit(ショーン・ペティット)。彼がK2と共に放つコレクション「K2000」は、単なるコラボレーションの枠を超え、ウィンタースポーツ界の”常識”や”アイデンティティ”に鋭く問いかける挑戦状であった。
K2000は、スキーとスノーボードを単に混ぜた中途半端なコレクションではない。彼の「最も心地よい滑りをしたい」というピュアな欲望を満たしたギアの最適解だという。
その背景には、彼がエリート街道を突き進む中で抱いた、自分のアイデンティティに対する悩みとキャリアの転換点があった。まずは、彼がなぜ「スキーヤー」というアイデンティティを捨て、この「二刀流の哲学」に至ったのか、その生い立ちから紐解いていこう。これは単なるギア紹介ではない。スノーシーンの未来を見つめるショーン・ペティットの物語だ。
「エリート」のレールに乗った少年時代
ショーンは、元プロアルペンスキーヤーの母親のもと、カナダ東海岸で2歳からスキーを始めた。スキーをやるのは、彼にとって「与えられたレール」のようなものだったという。
そして1999年、7歳でウィスラーに移住したことがすべてを変えた。生活は山を中心に回り、彼はすぐにタナー・ホールの映画に登場するなど、プロの道に。14歳でK2初のキッズプロモデルを手にし、シングルマザーの母を支えるためにも、「もっと稼ぐ、もっと上達する」という道に邁進した。
しかし、彼のルーツは雪上だけではなかった。ウィスラーで夢中になったのはスケートボードだ。スケートを通じて、彼はストリートカルチャーを学び、スノーボーダーたちとの垣根のない交流をした。彼のスタイルは、自然とストリートカルチャーに影響を受けていった。
20代の覚醒。ロボットからの脱却
毎年のように命懸けのビデオパートを制作する生活が続く中で、20代に入ると、ショーンは「壁」にぶつかる。
「フリップをしたり、巨大な崖から飛び降りたり……、ハイレベルでハイリスクな挑戦は限界に来たんだ。そして、『このスリルは、ただ自分を怖がらせているだけじゃないか?』と自問し始めたんだ」
極限を追い求める日々は、彼を「まるでロボットのように感じさせた」という。この閉塞感と、ハイレベルなパフォーマンスに果敢にトライする人々が命を落とす現実を目の当たりにしたとき、彼は別の世界に救いを求めた。それがスノーボードだった。
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スケートの経験からすぐに感覚を掴んだスノーボードは、彼が失いかけていた純粋に山を楽しむ感覚と、友達との楽しいセッションを取り戻させた。これが、彼のキャリアとアイデンティティを再構築した。
「僕は、自分のアイデンティティを『スキーヤーであること』に絡ませていたことに気づいた。でも、その時理解したんだ。それが僕を定義するわけではない、と」
彼は、自分が「スキーヤー」でも「スノーボーダー」でもなく、「ただの人」であるという結論に達し、両者は自分を定義するものではないと悟ったのだ。
