
「今の仕事は好きな仕事だ」と情熱を持って語る人を見ると、どこか羨ましく感じることがあります。
自分もいつか「好きな仕事に出会いたい」と願い、「好きな仕事を見つけなさい」という言葉に従いたくなる気持ちも自然なものです。
しかしアメリカのペパーダイン大学(Pepperdine University)ビジネススクールのジャクリン・マーゴリス博士は、このアドバイスには隠れた問題があると指摘しています。
博士は複数の心理学研究と労働研究をもとに、「好きな仕事こそ正しい」という考え方が、時に働く人を苦しめてしまうことを明らかにしています。
この記事では、その科学的な背景を3つの視点から紹介します。
目次
- 「好きな仕事を見つける」という考えと、その暗い側面
- 「好き」は変化する──情熱は永遠ではない
- 幸福には2種類あり、仕事の価値は「楽しい」だけで測れない
「好きな仕事を見つける」という考えと、その暗い側面
「好きな仕事をしよう」という考え方が世の中に広まった理由の1つに、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で語った有名なスピーチがあります。
ジョブズは「素晴らしい仕事をする唯一の方法は、それを愛することだ。まだそれを見つけていないなら、探すのをやめてはいけない」と語り、この言葉は多くの人々に大きな影響を与えました。
その後、学生たちは「天職探し」を求められるようになり、キャリア指導でも「好きなことを仕事にすべきだ」という考え方が繰り返し強調されました。
こうして、「好きな仕事こそ正しい」という価値観が社会全体に根付いていったのです。
しかし、研究の視点から見ると、この価値観には重要な問題があります。
マーゴリス博士が紹介する研究の中には、仕事に強い情熱を持つ人の働き方を調べたものがあります。
心理学者のバンダーソンとトンプソンは、2009年の研究で動物園の飼育員にインタビューし、彼らの働き方の特徴を探りました。
飼育員たちは「動物のためなら何でもしたい」と強い使命感を持っていましたが、その一方で長時間労働や低い給与、厳しい作業環境をあまり疑問に思わず受け入れてしまう傾向がありました。
情熱が強いほど、負担の大きさに気づきにくくなるのです。
さらに、他の研究をまとめた2013年のレビューでは、雇用主は、仕事を心から愛しているように見える人に対して、給与や手当といった報酬を多く与えなくなる傾向があることも指摘されています。
「好きでやっているなら、今の待遇でも満足するだろう」と無意識に考えてしまうからです。
その結果、熱心に働く人ほど不利な条件を受け入れやすくなってしまいます。
採用の場でも、同じような偏見が働くことがわかっています。
ある調査では、求職者が面接で「給与について教えてください」と質問しただけで、採用担当者からの推薦率が約20%下がりました。
これは「給与を気にする人=情熱がない人」と誤って判断されてしまうためです。
この「動機の純粋性バイアス」によって、情熱以外の理由で働く人が不当に低く評価されてしまうことがあります。
しかし実際には、多くの人が生活のために働いており、それ以外にもいくつもの動機を同時に抱くものです。
「好き」は変化する──情熱は永遠ではない
「好きなことを仕事にすれば一生幸せでいられる」という考え方は、とても魅力的に聞こえます。
しかし心理学の研究では、人が「幸せ」と感じるポイントは年齢とともに変化していくことがわかっています。
マーゴリス博士は、自身の元学生の例を紹介しています。
その学生は20代の頃、大規模な音楽フェスやライブイベントの制作に情熱を注ぎ、その仕事を心から楽しんでいました。
しかし年齢を重ねると、非日常の続く生活に疲れを感じるようになり、落ち着いた夜や休日がほしいと思うようになっていきました。
この変化は、心理学研究とも一致しています。
2013年の研究によれば、若い時期は刺激の強い特別な体験で幸福を感じやすい一方、年齢が上がるにつれて、日常の中の落ち着いた体験でも大きな満足を得られるようになります。
そのため、若い頃に「これこそ天職だ」と思っていた仕事が、年齢を重ねた自分にとって必ずしも最適とは限らないのです。
また、情熱を仕事にすると、その情熱が摩耗しやすいことも研究で分かっています。
好きなことでも、それを毎日仕事として続けると、情緒的な疲れがたまりやすくなります。
その結果、仕事に対するコントロール感が弱まり、以前はワクワクしていたはずの仕事が「思っていたほど楽しくない」と感じることがあります。
教師や看護師といった「天職」と言われる職業でも、当初の情熱が薄れ、仕事に対する気持ちが距離をおくようになるケースが報告されています。
つまり「好きだから続けられる」という考え方は、必ずしも長続きするとは限らないのです。

