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長尾謙杜と當真あみが見せた「十代の無力感」の“先”にあるもの 全世代が映画「おいしくて泣くとき」を見るべき理由

長尾謙杜と當真あみが見せた「十代の無力感」の“先”にあるもの 全世代が映画「おいしくて泣くとき」を見るべき理由

「おいしくて泣くとき」
「おいしくて泣くとき」 / (C) 2025映画「おいしくて泣くとき」製作委員会

「なにわ男子」の長尾謙杜が劇場映画初主演を務めた映画「おいしくて泣くとき」のBlu-ray&DVDが10月8日に発売された。同作は切実な悩みを抱える十代の少年少女が過ごしたひと夏の記憶を、時を超えて描き出す感動的なヒューマンドラマ。青春の残酷なまでのリアリティと、それを乗り越えた先にある希望を「おいしい」という普遍的な感覚を媒介に描き出した。無力感を覚える十代の苦さ、時を重ねて気づく人の温かさ…人生の味わいがドラマチックに凝縮された、本作の魅力を考察していく。

■無力感に苛まれる十代の青春

原作は森沢明夫の同名小説。物語の主要なテーマの1つは、社会の不条理や家庭の事情に直面した十代の「無力感」だ。本作は青春時代特有の儚い美しさや一瞬の強い輝きだけでなく、そこに影を落とす残酷なまでの“現実”を鋭く描き出していく。

幼い頃に母を亡くした主人公の風間心也(長尾)、そして自身の意思ではどうにもならない複雑な家庭環境…ネグレクトや貧困といった問題のただなかにいる同級生の新井夕花(當真あみ)。2人は過ごしてきた環境もあってか、どこか周囲のクラスメートに馴染めない時間を過ごしていた。しかしあるとき、「学級新聞」を作る編集担当として強引に指名されたことで物語が動き出す。

彼らが直面する現実は、観客に強い共感と“痛み”を呼ぶ。心也は父が経営する“こども食堂”のせいで心ないクラスメートから「偽善者」呼ばわりされ、それでもこども食堂を続けようとする父との間に確執が生まれようとしていた。内心では父の活動の意義をわかっていても、学校という狭いコミュニティーに閉じ込められた学生である心也。「息子が苦しむことよりも、他人の子の方が大事なのか」といった鬱屈した感情がどうしても消えないでいた。

そしてさらに現実的な問題のさなかにいた夕花。十代の少年少女にとって「家庭」「学校」という社会は、大人が思う何十、何百倍も“絶対的”に感じられるものだ。そこでぶつけられる不条理に対し、彼らが持つ力が如何に無力であるのか。本作ではそこがあまりにも切実に、リアルに描かれている。

2人は編集部員という立場からやがて打ち解けていき、「ひま部」を結成。ひと時の逃避とわかっていても、苦しみや悲しみの中で寄り添う温かさを知る。やがて心也の父が営むこども食堂で温かい食事を分かち合ううち、抑圧されていた小さな夢や希望の「明かり」を見つめ直すこともできた。

夕花を大事に思えば思うほど、自分では彼女の問題に対処する方法がないことを痛感してしまう心也。しかし本作はそうした“無力感”をことさらに強調して、十代の絶望を取り扱ったものではない。彼らの無力な涙は決して報われない悲劇の象徴ではなく、その後の奇跡を呼び込むための「人生の必要な過程」なのだ。

■「おいしい」記憶が時を超えて呼ぶカタルシスと号泣の理由

物語は十代の心也と夕花のひと夏と、およそ30年後の大人になった心也(ディーン・フジオカ)へと時を超えて繋がる構成を取る。この多層的な構造が、青春時代の「無力感」の描写をラストの大きなカタルシスへと結実させる。

本作のタイトルにも込められた「おいしい」という五感に刻まれた記憶は、失われた時間や断絶した関係性を乗り越える力となる。何気ない家庭のなんでもない食事の瞬間。その記憶は困難の記憶が深ければ深いほどに濃くなり、物語の最後を悲劇ではなく感動で振り返るエッセンスとなる。

観客の感想も、終盤の展開に関する印象が多い。「最後の20分からが凄い。感動の嵐です」「最後の30分間が本当に良い。おいしくて、泣く時。とても良いタイトル回収だったなと思う」など、「十代の苦しみ」というテーマだけに終始しない本作の“からくり”が評価された。

無力な十代のうちは、数えきれないほど壁にぶつかるものだ。家庭環境、学校のクラスメート、近隣住民とのコミュニケーション、将来への不安、学力、自分の体、理想と現実のギャップ。青春映画のようなきらびやかに輝く生活を送る人間もいれば、そうした現実的な問題にふさぎこむ人間もいる。華やかに見える人も、裏では悩んでいるパターンだって少なくはない。

本作はそうした十代が抱える悩みを決定的な“ある事件”に凝縮させつつ、時を超えた先にあるかもしれない幸せな“答え”を見せる。単なる「時が解決する」という大人がよく使う言葉ではなく、「絶望を超えた先に光が差すことだってある」ということを映し出す。

心也の青春は、挫折と絶望に彩られる。無力感に打ちひしがれた彼の心中はそれこそ真っ黒だっただろう。それでも大人の心也が迎えた“ハッピーエンド”は、歩き続けた先にあった。絶望を経験したあともやさぐれず、両親の想いを受け継いで真面目に生活した心也。そこで起きたことは奇跡かもしれないが、こども食堂の使命と真摯に向き合い続けたからこそ訪れたハッピーエンドでもある。

「暗い気持ちを抱えている十代」はもちろん、「十代の頃に悩んだ大人」にも刺さる同作。人生の差し引きをより長いスパンで考えられるようになれば、「おいしくて泣くとき」がきっと自分にも訪れると信じられるようになるはずだ。

■キャストが体現する純粋さと世代を超えた温かさ

本作の感動を支えているのは、長尾と當真を中心とした世代を超えた俳優陣の演技力。彼らの存在が物語に体温を与え、観客の感情移入を深めているのは間違いない。

長尾が演じたのは父譲りの正義感を胸に秘めながらも、「偽善者」と呼ばれて心揺らぐ高校生の心也。劇場映画初主演という重責を抱えながら、彼は真摯な姿勢で座長を務めた。映画情報サイトのインタビューでは、「みんなで横一列になって、協力しながら歩んでいきたい」と演技にひたむきな精神性を覗かせた長尾。その演技は自然体で、彼が役柄に込めた「真っ直ぐさ」が心也の優しさと純粋さゆえの苦悩を際立たせている。

ヒロイン・夕花を演じた當真あみは、夕花についてメディアインタビューで厳しい家庭環境のなか「笑顔でいることを少し頑張っている」「すごく強い子」と印象を語った。さらに夕花の過去と言動を振り返って「私だったら出来ないだろうなと思う」と正直にこぼすなど、弟を守る強さと心也の優しさに触れて揺れ動く繊細な感情を瑞々しく表現した。

また物語に深みを与えたのは心也の父・耕平を演じた安田顕、そして「30年後の心也」を演じたディーン・フジオカだ。安田顕は「おいしくて泣くとき」公式ページにて、オファー時にプロデューサーから手紙をもらったことを振り返って「胸が熱くなった」「原作を拝読し、感動。大好きな小説。大好きな映画に出会えました」とコメントを披露。耕平の包容力あふれる優しさは、物語の根底にある温かさの根源となっている。

ディーン・フジオカは自身が取り組むフードドライブ活動と本作のテーマである「子ども食堂」との繋がりを感じ、「社会に良い影響を生み出すことを心から願っている」とコメント。それぞれ「原作への感動」と「信念に重なる作品テーマ」を胸に、2人の実力派俳優が心也の支えとなる父の愛、過去を乗り越えた大人の優しさを体現した。

彼らの真摯な演技と役柄への深い共感が、本作を単なる青春ラブストーリーに留まらない「時を超えた想いの継承」という物語の太い縦軸を作っている。

ラストの展開から2回3回と見直したくなる「おいしくて泣くとき」は、10月にDVDとBlu-rayを発売。豪華版には映画本編に加え、特別メイキング映像やイベント映像集などが収められている。ユニークなのは長尾と當真に横尾初喜監督を加えた3人が、副音声的に映画を解説する「オーディオコメンタリー」。YouTubeで一部公開されている内容でも、撮影現場の雰囲気や裏話が楽しく語られている豪華版だけの特典だ。

厳しい現実に直面して無力感に苛まれる十代の切実な青春を描きながら、温かい希望のビジョンを見せる本作。十代はもちろん現代を生きる人々の心に光を灯す、愛と優しさに満ちた作品と言えるだろう。「無力感」「絶望」がいつか“意味”を持つはず…歩き出すための勇気が欲しいときは、本作に向き合ってみてほしい。

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