東京・御徒町の一角に、朝6時の開店前から客が並ぶ“異常に安くて、異常に温かい”立ち食いそばがある。74歳の店主が毎朝3時に起き、夫婦ふたりで切り盛りする「鶏だし そば うどん 三丁目」だ。「夫婦2人でも続けられる店」を探してたどり着いたのが、立ち食いそばだったという――。
気づけば御徒町の朝の名物に
カウンターのみの小さな店だが、開店前から店先に並ぶ客がいる。店主はもともと秋葉原で十数年ラーメン屋を営み、常連も多かった。しかし再開発による立ち退きで閉店することに。
店を失った途端、思った以上に寂しさを感じたという。とはいえ新たに人を雇ってまで商売をするのも大変だ。そこで、夫婦2人でできる商売を考える中で、「食べ物は好きだし、立ち食いそばをやってみよう」という結論に至った。決めたときは67歳。それから7年、現在74歳だが、店は朝の御徒町の“風景”になるほど根づいた。
立ち食いそばの出汁といえば、一般的には鰹節や昆布だ。だが店主はそこにあえて逆らった。
「普通のそば屋はかつお節でしょ? それじゃ面白くないなと思って。ラーメンやってたからさ、ちょっと変わった味でやりたいなって。鶏の出汁でやることにしたんだよ」
こうして生まれた“鶏だし”は、飲むとどこか醤油ラーメンの面影を感じさせるやさしい旨味が特徴。奇抜さはなく、そばにもスッと馴染む味だ。店名の「三丁目」は“この場所が3丁目だから”。余計な装飾がないのも、この店らしい。
厚みのあるとり天がごろっとのる「とり天そば」は、店主いちおしの一杯。「みんな肉好きでしょ?」と笑うが、実際に満足度が高い。さらに海鮮天の存在感も抜群だ。季節で内容は変わるものの、エビ・イカ・ハモなどが3種類のった盛りで650円。都心の立ち食いそばとは思えない量だ。
「海鮮もね、ボリュームあるし安いし、人気だよ。でも値段は上がってきてるね、なんでも」
そう言いながらも、値付けは常連が通い続けられるラインを守る。
この店の象徴が、350円の「朝そば・うどん」。たぬき・キツネのどちらかに加え、わかめ、ちくわ天、ゆで卵がつく。つい最近までは330円だったが、物価高騰が続く中で350円に。それでも破格であることに変わりはない。
「よそより高くしちゃダメ。安くて、うまくて、早けりゃいい。吉野家と一緒。そのほうがお客さんもうれしいでしょ」
毎日皆勤の常連客が40人以上も来店
この価格を支えるのは、夫婦2人だけの運営と家賃がかからない点が大きいという。
「2人でやってるからね。人を雇って家賃払ってたら、この値段じゃ絶対にできないよ」
さらに店は14時で閉店する。理由は“次の朝に備える”ためだ。開店前から並ぶお客さんのために、麺のストックを“翌朝に振る”という経営判断である。この店の朝の回転を支えているのが、常連たちの存在だ。
「(平日は)毎日来る人が30〜40人いるよ。飽きずに来てくれるんだから嬉しいよね」
常連の存在は店主にとって大きなモチベーションになっている。74歳で毎朝3時に起きて3時半には店に着き、仕込み作業を行なう。6時の開店前から並び始めるお客さんのため、店主はこの厳しいルーティンをいとわない。
「立ち食いそばの魅力って何ですか?」と聞くと、店主はこう答えた。
「大したもんじゃないよ。お客さんが来やすい。早く出してあげられる。それだけ。吉野家と同じ。“早く・うまく・安く”。それだと思うよ」
最後に、昨今の物価高騰がどれだけ負担になっているのかを聞いた。
「仕入れるたびに値段が上がってるよ。特に海のものは高いね。ゲソ天もね、800円くらいもらわないと合わない。でも800円じゃ食べないでしょ。だからやめたんだ」
大量仕入れで安く抑える方法もあるが、大きな冷凍庫は置けない。現実を直視したうえで、できる範囲の価格を守っている。
「体の続く限りやりたいよ。でも夫婦どっちか倒れたら終わりだよ。74歳で朝3時に起きて3時半に店来るって、しんどいよ、本当はね。1年前までは昼休みなしでずっとやってた。でも疲れちゃうからさ。ちょっとでも椅子に座る時間がないとだめだね」
物価が上がっても、設備が小さくても、できる範囲の工夫で“立ち食いそば”を守る。7年前に夫婦2人で始めた小さな店は、今や誰かの“一日のスタート”を支える場所となっている。
取材・文/ライター神山

