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偏差値40以下、英語は「This is a pen.」レベル……26歳まで、英語とは無縁の人生を送っていた女性がいます。大阪府大阪市で「フレンズ英会話」を経営する、久山絵里さんです。
18歳のとき、金銭的事情から大学に進学せず、高卒ではたらく道を選んだ久山さん。工場で7年間はたらいたのち、25歳で広告代理店の仕事に就きます。
ところが26歳でオーストラリア一周の旅に出たのをきっかけに、現地での独学と帰国後の猛勉強を経て、30歳で英語教室を立ち上げました。創業から16年、現在は生徒数が常時約150名、平均継続年数6年以上の人気教室となっています。
久山さんはなぜ、英語教室を開く道を選んだのでしょうか。その理由と、久山さん流の“自分らしいはたらき方”について伺います。
26歳、「Apple」のスペルも書けないままオーストラリア一周旅へ
── 18歳のとき、高卒ではたらくことを選んだ理由を教えていただけますか。
私は少し特殊な家庭環境で育ったんです。4歳下の弟が生まれつき「脳性麻痺」という病気で、24時間看護が必要でした。
両親とも満足にはたらけないので家計は苦しく、私は「お金を貯めなあかん」とお年玉を全額貯金していました。「私が稼げば両親を楽にしてあげられる」と思っていたし、小学生のころから「将来は社長になる!」と言っていたようですね。

今でこそ英語の仕事をしていますが、学生時代は想像も付かないくらい地味な子でした。同級生が卒業アルバムを見たら「こんな子いたっけ?」と思われるレベルだと思います(笑)。
でも自己評価が低かったわけではなくて、なんでも自分でやらなきゃいけない環境だったので、「やればできる。やらなあかん」というマインドは常にあったかもしれません。大学進学は、元から選択肢になかったんです。
── 卒業後は、印刷工場に7年間勤めたそうですね。どんな生活だったのでしょうか?
印刷工場の初任給は12万円。でも、工場の仕事の後に夜中までディスカウントスーパーのアルバイトをしていたので、18歳の間に120万円ほど貯金が貯まっていました。
お金は普段節約して、使うべきときにドーン!と使うのが好きなので、社会人1年目で銀行で100万円を下ろし、中古車とバイクを買って、週末にしょっちゅう一人旅をしていました。
この時点で英語力は、「Apple」のスペルが書けないぐらいでしたね。昔の私を知らない方からは「嘘ばっかり!」と言われますが、本当にまったくのゼロでした。
英語が苦手な人は多いと思いますが、私の実力は平均をはるかに下回るもので(笑)、偏差値も40以下だったんです。
── 英語とは無縁で生きてきた久山さんが、なぜオーストラリアを1周しようと思われたのですか?
25歳のとき、印刷工場を退職しました。会社や仕事に不満があったわけではなく、ただ「もっと違う空気を吸ってみたい」と思い、フルコミッション制かつ登録制の広告代理店の仕事に就いたんです。
そうした状況で生活していたある日、新婚旅行帰りの先輩夫婦がオーストラリアのホワイトヘブンビーチの写真を見せてくれたんですね。その写真がめちゃくちゃ綺麗で、「ここに行きたい!」と思ったのがきっかけです。
── 一人旅だったそうですが、不安はなかったのでしょうか。
不安はなく、ただワクワクしていました。
7年間で貯めた貯金は約140万円。留学エージェントを使うと費用が高くつくので、自分一人で1カ月で旅の準備をして、ケアンズに旅立ちました。
今思えば本当にアホだったのですが、現地の空港に着いてから「あかん、私やってもうた」と思うくらい言語の壁を痛感しましたね。

大卒条件の求人に高卒で応募。大手英会話スクール→140万円で英語教室開業へ
── 当時はスマホもなく、音声機能なしの電子辞書しかお持ちではなかったそうですね。1年間どのように生活していたのでしょうか。
大陸1周を目標に、町から町へと移動してオーストラリアをぐるっと回ったんです。
旅が目的だったので仕事は基本しませんでしたが、唯一、メルボルンから200kmほど離れた田舎の農場で約1カ月間、フルーツ収穫の仕事をしました。
日の出から日の入りまで洋ナシの木に登って、掘っ立て小屋のようなプレハブで寝泊まり。ニュージーランドと韓国、カナダから来た3人との共同生活で、言葉はほぼ通じませんでしたが、身振り手振りで必死に会話に加わりました。
私はドラクエが好きなのですが、英語が1つ伝わるたびに、自分のレベルが1つ上がった感覚でしたね。苦労しましたが、そうやって心に余裕が生まれていったんです。

── 「英語教室を立ち上げよう」と思われたのは、いつ、どのようなきっかけだったのでしょうか?
旅の途中から、すでに思いは固まっていました。
「英語って、世界って面白い!」と知ったときに、帰国後は英語を活かせる仕事がしたいと思ったんです。でも、高卒で英語業界への就職は難しいだろうなと。
それなら自分で事業をやってみよう、と思いました。不安や迷いはなく、「自分で選んだ道を進みたい」、そんな気持ちでしたね。やったことがないからこそ、やってみたかったんです。
── それでも帰国後、大手英会話スクールに就職し、約1年間勤務されたそうですね。
帰国後は無一文だったので、「とにかくお金を稼がな」と思い就職活動をしたんです。一度、英語業界で経験を積みたいとも思いました。
10〜20社ほど応募しましたが全滅し、「英語の仕事はやっぱり無理かな」と事務職や工場の仕事にも応募し始めていたとき、ダメ元で大手英会話スクールを受けてみました。
ネットで応募するとき、学歴の選択欄にあったのは「大卒」と「大学院卒」のみ。でも選択しないと次のページに進めないので、仕方なく「大卒」にチェックを入れて、備考欄に「大学受験はしておらず高卒で就職しましたが、のちにオーストラリアを旅し、英語力と生きていく力を身に付けました」と書いて送信したんです。
それがなんと、採用されて。
ただ入社後は大変でしたね。海外を1年間旅したところで所詮、英語がペラペラになるわけではなく、帰国後に腕試しのつもりでTOEICを受けたところ440点だったんです。
でも周りは大卒や大学院卒、海外大卒の方ばかりで、TOEICも900点台が普通。私一人、すごく疎外感を感じました。
それでもどうしても英語教室を立ち上げたかったので、約1年間はたらいてお金を貯め、起業したんです。


