身体を後ろに反らせ、やや窮屈な姿勢で放ったフォアのリターンは、次の瞬間には相手コートのコーナ―に刺さった。
錦織圭は、打球の行方を見届けると、淡々とネット際へと歩みを進める。一瞬遅れて内田海智は、両手を大きく天に広げて、驚嘆と祝福の声援に応じた。
男子テニスの下部ツアー「横浜慶應チャレンジャー」の、準々決勝。内田が錦織を6-2、 6-2で破り、ベスト4への扉を開いた。
内田にとって錦織は、10代の日から、常に背を追ってきた存在だ。18歳でプロ転向し、IMGアカデミーを拠点とすべく渡米した翌日には、錦織に誘われ夕食を共にした。5歳年長の錦織は、当時すでに世界のトップ20。それでもIMGアカデミーにいればボールを打ち合った、遠くて近い存在だ。
だからこそ、今大会の錦織が万全でないことは、内田の目には明らかだった。ただ、だからといって錦織の偉大さが、彼の中で薄れる訳ではない。錦織との対戦が決まったその瞬間から、内田は「戦略を考えた」という。
「1日、どうやったら勝てるのかなと、考えに考えた結果……」
言葉を区切り、そして、続ける。
「何も出なかったんですよ」
気恥ずかしそうに、浮かべる笑み。
「やっぱ穴がなさすぎるんで、なんかもう、考えてどうにかできる相手じゃない。僕も最近調子が良いし、サービスも良くなっているので、自分のテニスを貫き通す。その中で錦織選手と対戦することで、自分のプレーの質を上げるしかないなと思った」
先週の「ノアチャレンジャー」でもベスト4に勝ち進んだ内田の、好調を支えているのは改善したサービス。サービスゲームを確実にキープし、少ないであろうブレークのチャンスを生かすことを考えて、内田は錦織との初対戦のコートに向かった。
ただいざボールを打ち合うと、予想を上回る展開の早さに、「サービスでしかポイントを取れない」と感じたという。それでも立ち上がりから自身のサービスは、3ゲーム連続でキープする。特にゲームカウント2-2からのサービスゲームでは、3度のブレークの危機を凌ぐ。ゲームポイントで決めたのは、目の覚めるサービスエースだった。
対する錦織は、過去数試合に比べ、「やる気が出た」状態で試合に入っていたという。ここ数カ月の内田が、良いプレーをしていたことは重々承知。
「いい試合をしたい」
試合前に抱いたその思いは、自然と錦織のプレーを引き上げただろう。
「出だしだけは良かったので、そこだけは評価できるところ」と、試合後に錦織は自嘲気味に言った。ボールを打つ際に漏れる声が、込めた気持ちを物語る。特に第4ゲームのサービスゲームを失点無くキープし、続くゲームでブレークチャンスをつかんだあたりは、錦織の流れだった。
だが続くゲームでは、錦織にミスが重なった。そしてこの機を、内田は逃さない。第6ゲームをブレークした内田は、ボールを叩く腕に力を込めて3ゲーム連取。自ら流れを引き寄せて、内田がセットを奪取した。
第2セットに入った後も、終盤に向かうにつれ内田優勢の流れは加速した。錦織も所どころで、美しい球筋のウイナーを決め客席から感嘆の声を誘う。だが、瞬きも忘れるほどの集中力でボールを叩く内田は、フォアの打ち合いでも錦織を凌駕しはじめた。最後のリターンゲームでは、驚異の4連続ウイナー。
「今日は、何を打っても入る感覚があった。彼(錦織)のレベルの高さに、僕のテニスが引き上げられた」
試合後に内田が、目を丸くして語る。素朴な自画自賛の言葉にも、錦織への敬意と謝意が滲んだ。
敗れた錦織にしても、内田の成長をうれしく思う気持ちもあったのだろう。
「今日の試合は、すごくなんか良かったですね。いい意味で気持ちよくやられたし、彼のプレーも良かったので、うれしい部分もあったし」
気にかけてきた後輩を素直に称える錦織は、「海智にリベンジしたいなっていう夢もできましたし」と小さく笑った。
3カ月ぶりの復帰戦で、3試合戦い切れたことは、まずは前進ではあるだろう。
「この3週間くらい、ウッチー(内山靖崇)や陽介(綿貫陽介)と練習し、まだ行けそうだなと思った。それを試合で出せれば......」
そのような手応えを得ると同時に、「それが長い道のりであるのは間違いない。それを自分が耐えられるか」と自問した。
他方、勝利した内田も「錦織選手の技術は、本当に世界のトップクラスということを肌身で感じた。戻ってきて欲しいし、戻ってこないといけないんじゃないかと僕は信じている」と切実に語る。
錦織の「リベンジしたい」という想いを受け止め、内田も歩みを進めていく。
取材・文=内田暁
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