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徳光和夫「『読売は読まない』クビ覚悟の発言で…」/テリー伊藤対談(1)

徳光和夫「『読売は読まない』クビ覚悟の発言で…」/テリー伊藤対談(1)

 今年6月、惜しまれつつこの世を去ったミスターを「神様」と公言する徳光和夫氏。立教大学への進学から監督解任時の覚悟の発言まで、「まさに長嶋さんに導かれた人生だった」と振り返る。松井秀喜との秘話やリハビリに挑み続けた晩年など、天才テリーと思い出を語り合った。

テリー 実はこの連載が今回で最終回ということで。最後にミスター(長嶋茂雄)の話を、ぜひ徳光さんとしたくて来ていただいたんですけども。

徳光 あ、そうなんですね。よろしくお願いします。

テリー 徳光さんは、長嶋さんの後輩になりたくて立教大学に進学したんですよね。

徳光 その一心で立教しか受けなかったですね。僕が受験した年には長嶋さんはすでにジャイアンツに入団されてたんですけども。

テリー そうすると、最初に長嶋さんにお会いしたのは?

徳光 日本テレビに入社して1年半ぐらいです。当時、「ミユキ野球教室」という番組がありまして。

テリー ありましたね、日曜の朝にやってた。

徳光 そうです、そうです。その司会だった越智正典さんという名アナウンサーが僕を呼んで、「茂雄ちゃんに憧れて立教大学に入った、うちの新人アナウンサーだ。野球中継をやりたいと言ってる」って紹介してくれたんです。そうしたら長嶋さんが、あのハイトーンで「うーん、頑張ってね」って(笑)。あの言葉はいまだに忘れられないですね。ただ、僕は入社2年半でプロレス中継を担当することになって、野球とは無縁になっちゃったんですけどね。

テリー そうすると大学、日テレと、最初はことごとくすれ違いだったわけですね。その後、親しくなったのは何だったんですか。

徳光 「ズームイン!!朝!」が始まって、ジャイアンツに取材に行くようになったんですね。それで、すでに監督でいらした長嶋さんにインタビューさせてもらったり。もう舞い上がっちゃって、満足なインタビューにはなりませんでしたけども(苦笑)。

テリー わかります。

徳光 僕が「セントポール(立教大学)」ということもあって、ことさら可愛がってくれたんだと思います。何かと言うと「徳ちゃん、徳ちゃん」って言ってくれてね。決定的だったのは、長嶋さんが監督をお辞めになる時ですね。

テリー 1980年ですね。

徳光 その時に僕が「ズームイン!!朝!」で「これは辞任じゃない。解任だ」と言っちゃったんです。「私は日本テレビの人間として言わせてもらうけれども、もう読売新聞は読まない」って。そうしたら長嶋さんがそれをご覧になっていて。

テリー ええっ!? 

徳光 その時はまだ完全に僕のことを認識してくれてはいなかったと思うんですけれども、「こいつはクビを覚悟してしゃべってる」と思ってくれたみたいで。それで日本テレビのスポーツ局の局長のところへ来て、「一度食事をしたい」と。それで、今はもうなくなっちゃいましたが、六本木の有名なフランス料理店で食事をご一緒したんですよ。

テリー ミスターと局長と3人で?

徳光 ええ。そこで「もし日本テレビをクビになるようなことがあれば、仕事を紹介できるかもしれない」なんて言ってくれて。それ以来、僕はますますミスターを神のように崇めるようになって、親しくさせてもらうようになったんです。

ゲスト:徳光和夫(とくみつ・かずお)1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後の1963年、日本テレビ入社。プロレス中継をはじめ、「うわさのチャンネル」「紅白歌のベストテン」などに出演。特に1979年3月スタートの「ズームイン!!朝! 」では総合司会を9年間務め、同局の顔に。1989年、フリーアナウンサーに転身。「24時間テレビ」や「世界ウルルン滞在記」(毎日放送・TBS系)など多くの人気番組で司会を務めた。現在は「路線バスで寄り道の旅」(テレビ朝日系)、「徳光和夫の名曲にっぽん」(BSテレ東)、「プロ野球 レジェン堂」(BSフジ)、「徳光和夫 とくモリ! 歌謡サタデー」(ニッポン放送)、YouTube「人生ジャイアンツ」(日テレジータス公式)などにレギュラー出演中。

配信元: アサ芸プラス

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