PRESS HORRORではパッケージの発売に合わせ、矢口監督に独占インタビューを敢行。今年1月に『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』(25)で商業映画監督デビューを果たした、“Jホラーの申し子”近藤亮太監督が聞き手を務め、コメディ演出に定評のある矢口監督がホラー的恐怖をどう描いたのか、演出家目線で迫った。
5歳の娘を不慮の事故で亡くし、悲しみに暮れる鈴木佳恵(長澤)と夫の忠彦(瀬戸康史)。佳恵は骨董市で見つけた娘によく似た愛らしい人形を“アヤ”と呼んでかわいがり、元気を取り戻してゆく。佳恵と忠彦の間に次女の真衣が生まれると、2人は人形に心を向けなくなるが、5歳に成長した真衣が人形と遊ぶようになると、一家に恐ろしい出来事が次々と起き始める。夫妻は人形の“アヤ”に隠された秘密に迫っていくが…。
■「かわいそうとおかしいが共存する。多分僕の映画は全部そうなんだと思います」
――今回、『ドールハウス』は矢口監督にとって長編では初のホラー映画になりますね。印象的な恐怖描写やアイデアの数々がすばらしかったですが、以前から温めていたネタなどがあったのでしょうか。
「ほとんどは新しく考えたものです。自分の自主映画『ワンピース』のシリーズで用いた“一人増えているのに気づかない”というネタと、テレビドラマ版『学校の怪談』でも使った“暗闇の中でフラッシュに一瞬だけ幽霊が見える”という描写ぐらいですかね。それ以外は全部、今回のストーリーに合わせてイチから作りました。シナリオを頭から順番に追いながら、展開ごとに、こう見せたら怖いなと考えていった感じです」

――物語をキャラクターと一緒に進んでいきながら構築していくわけですね。
「そうです。特定のシーンやショットから発想することは、過去の作品でもほとんどありません。登場人物たちが行動し、その結果として起こる次の出来事について考える。そういう連鎖のなかで自然に怖さを積み上げていきました」
――監督の作品はコメディの印象も強いですが、ホラーを撮る際と意識の違いはありましたか?
「実は、自分のなかでは区別していないんですよ。『ドールハウス』も“笑わせよう”と思って撮ってはいないのに、海外の映画祭では大爆笑が起きていたんです。怖いシーンと笑いの波が交互にくる。でも僕としては全部シリアスなつもりです。例えば『ウォーターボーイズ』で最初の演技披露が失敗するシーンも主人公にとっては悲劇ですし、『こんちくしょう』と思っているわけなんです。ただ僕が撮ると悲劇がどこかおかしく見えて、観客は笑ってしまう。かわいそうとおかしいが共存する。『スウィングガールズ』でもそういったシーンがありましたし、多分僕の映画は全部そうなんだと思います」
■「“映っているものが怖い”というより、“物語を追うなかで怖さが生まれる”ことを大事にしました」
――監督はご自身で絵を描かれる印象がありますが、コンテはどのように作られるんでしょうか。
「僕にとって絵を描くことは“映像の設計図”を作る作業です。映画の画をこの通りにしたいということではなく、撮影のための共有ツール。大体、撮影当日の朝に描きます。ロケがほとんどなので、天気やロケ地が予定と変わってしまうことは日常茶飯事なんです。前もって描いたコンテが無駄になることも多いので、撮影当時の朝早く起きて描いてメールでスタッフに送る。そういうやり方ですね。セット撮影や特殊効果のある場面――本作でいえばクライマックスの“神無島”などは事前に描いて準備しました」

――『ドールハウス』はジャンプスケアよりも、じっとりとした不穏さが印象的でした。恐怖描写を演出されるうえで意識されたことは?
「“映っているものが怖い”というより、“物語を追うなかで怖さが生まれる”ことを大事にしました。映画の前半では、実際の恐ろしい出来事はほとんど画に映らない。編集の順番やストーリーの流れのなかで、『こんなことが起きたら怖い』と感じてもらう構成です。スプラッターやゴアなどの残酷描写は一切使わず、観客が能動的に怖がってくれるような“共犯関係”を作れたらおもしろいと思っていました」
――ご自身が好きなホラーも、そうした心理的な怖さのものですか?
「若い頃は、当時全盛のスプラッター映画が好きでしたが、年を重ねるとああいう油っこいものがちょっと重たくなって(笑)。最近は人間の怖さ――いわゆる“ヒトコワ”のほうがゾッとしますね」
■「子どもの僕にとっての映画館は“日常と地続きのリアルお化け屋敷”みたいな場所でした」
――人形が登場するホラーでは『チャイルド・プレイ』(88)などが代表的ですが、意識された部分はありましたか?
「むしろ“反面教師”として意識しました。『チャイルド・プレイ』のチャッキーや、近年の『アナベル』、『M3GAN/ミーガン』などは人形が動いた瞬間に怖くなくなる。動いたとわかった時点で、メカかCGか人の操作か、仕掛けを想像してしまうんですよね。だから『ドールハウス』では、ギリギリまで動く瞬間を見せない。観客にも、登場人物にも『本当に動いたのか?』と疑わせたままで物語を進めたかったんです」
――たしかに“見えない恐怖”がずっと続きます。

「でも物語が進むと、誰もが『やっぱり動いてる!』と認めざるを得なくなる。そこからは実体のある“モンスター”として見せる必要がある。袋の中で暴れる、フラッシュで一瞬映る…そういう小出しの表現を段階的に提示していくのは、難しくも楽しい作業でした」
――演出のうえで影響を受けたホラー作品にはどのようなものがあるのでしょうか。
「ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』やデヴィッド・クローネンバーグ監督の『ザ・ブルード/怒りのメタファー』などですね。『エクソシスト』はすべてが現実の延長にあって、いま観ても本当に怖い。悪魔に憑かれたリーガンを病院に連れて行き、治療を受けさせる。母親はそれが正しいと思うけれど、実はそれが一番いけなかったという。『ザ・ブルード』も精神科医による治療が物語のきっかけとなりますが、子どもたちの怖さには観た当時非常にショックを受けました。『ドールハウス』でも、ドールセラピーという“治療”が恐怖の引き金になっています。これらの作品には、オカルトと現代科学が地続きに存在する怖さにすごく影響を受けました」

――監督ご自身も70年代の“オカルト・パニック映画ブーム”世代ですよね。
「そうですね。『ジョーズ』、『タワーリング・インフェルノ』、『大地震』なんかを封切りに劇場で観て、強い衝撃を受けました。子どもの僕にとっての映画館は“日常と地続きのリアルお化け屋敷”みたいな場所でした。現実のすぐ隣にある恐怖を、スクリーンの中で体験する。あの感覚はいまも忘れられません」
■「『呪怨』シリーズを観て、これは“怖い『男はつらいよ』”なんだなと思いました」
――監督自身が撮られたホラー作品というと、やはり関西テレビの「学校の怪談」シリーズが印象的です。1999年の「春のたたりスペシャル」から2001年の「春の物の怪スペシャル」まで、3本を撮られていますね。どういった経緯で参加されたのでしょうか。
「最初はプロデューサーからコメディリリーフとして依頼されたんです。『みなさん本気で怖いのを撮ってくるから、ちょっと息抜きとして、まっすぐ怖いというよりは笑えたほうがいいかもしれません』というお願いのされ方でした。そうして最初に撮った『悪魔の選択』をプロデューサーも気に入ってくれて、翌年もよろしくということになった際、『もうちょっと怖くしてもいいですか?』と言って、キラキラ大学生たちが集団催眠の実験に参加するプロットを書いたらすんなり通って。それが『恐怖心理学入門』になりました」
――「恐怖心理学入門」は、まさに僕ら30代の世代にとってトラウマ的な作品です。
「プロデューサーは、ちょっと怖いくらいの楽しい作品になるって思っていたんですよね(笑)。中盤までは確かにそうなんです。最後のほうに行くにしたがって、おもしろおかしい連中の様子がだんだん変わってくる。それまでキラキラしていた分、より闇が深く見える…という作品になったので、僕は撮っていてすごく楽しかったです」

――「学校の怪談」シリーズでは、Jホラーブームを担った監督たちとオムニバスで競作するかたちでしたが、印象に残っている作品はありますか?
「1998年の『学校の怪談G』で清水崇さんが撮られた『片隅』、『4444444444』を観た時はすごく怖くて、『なんだこれは…こんなことする人がいるんだ』と思っていたら、ビデオオリジナル版の『呪怨』が出て、すごく怖かったんですが『あれ、このキャラクター知っているぞ』と。その後『呪怨2』、さらに映画版の1と2を観て、これは“怖い『男はつらいよ』”なんだなと思いました。おなじみの寅さんが柴又に帰ってきてひと騒動が起きるのと同じように、伽椰子と俊雄があの家でまた怖い目に遭わせてくれる。その後のハリウッド版『THE JUON/呪怨』も観ましたし、清水さんの作品はかなり観ています」
――同世代のJホラー監督の作品は、ほかにどういったものをご覧になっていますか?
「黒沢清さんの作品はほぼ観ています。もう中毒ですね。ホラーじゃない時でも大抵は変なことするな、というのが楽しい。中田秀夫さん、中村義洋さん、白石晃士さんの作品も観ますし、やっぱり本質的に怖いもの好きなんですよね。今回も怖がらせていただきますっていつもワクワクしながら観ています」
――最近のホラーで印象的だった作品はありますか?
「近藤監督の『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』、拝見しました。すごく怖かったですし、おもしろかったです」
――ありがとうございます、光栄です!
■「観客がずっと『これはホラーなのか、心理サスペンスなのか』と迷える状態を保つことが狙いでした」
――監督にとって、どんなことが一番怖いと感じますか?
「誠意が感じられない、意思疎通ができない、そういった言葉の通じない人と出会うことですかね。長く付き合えばわかりあえるかもしれないけど、会った瞬間から『この人とは無理だ』と思ってしまうと本当に怖い。“もう二度と会いたくない”と思うような人間の怖さ。それが一番リアルな恐怖かもしれません」
――今回、パッケージ化であらためて鑑賞される方も多いと思います。観直す際に注目してほしいポイントは?
「変なこと、たくさんやってるんですよ(笑)。気づくか気づかないか、ギリギリのラインを攻めていて、たぶん劇場では誰も気づかなかったことも多いんじゃないかな。後ろに人が立っていたとか、そういうあからさまな“隠しネタ”ではなく、無意識のレベルで違和感を受け取ってもらえるようにしています。繰り返し観ることで『あれ、なにか変だな』と思えるところがあるはずです。パッケージの特典映像でも詳しく解説しているのでぜひ観てほしいです」

――具体的にはどんな違和感を積み上げているのでしょうか。
「長澤まさみさんが、 娘にかくれんぼしようとねだられて、しないって返して、という一連がありますが、その時に肘をついているのは実は長澤さんとは別人の手なんです。立ち上がる瞬間に“手の角度”が微妙におかしい。ほかにも、すりガラス越しに娘が笑うシーンでは、子ども用のマウスオープナーを付けて口を不自然に広げています。でもガラス越しだから本当にそう見えるのかわからない。観客の“無意識の不安”に触れるような怖さを狙いました」
――そうした違和感の積み重ねが、物語の“どっちとも取れる怖さ”につながっているわけですね。
「そうですね。前半はあくまで“お母さんが精神的に参っているだけでは?”という不確定状態にしたかった。明確に異世界のものを見せてしまうと、物語の見方が早く確定してしまうので。観客がずっと『これはホラーなのか、心理サスペンスなのか』と迷える状態を保つ――それが狙いでした」
――『ドールハウス』のDVD・Blu-rayを購入する方にどのように楽しんでほしいですか?
「『ドールハウス』は本気で怖い映画を作ったつもりです。日本のお客さんは劇場ではなかなか叫んだりしないですけど、ソフトで自宅で観れるようになるので、劇場では静かに観ていた方も、自宅ではぜひ思いきり叫んでください」


取材・文/近藤亮太
