獣との対峙と“気配”
――作品の中で、マリアが山に入ったときに「見られている感覚」があるという描写が印象的でした。よじょうさんも、山に入るときにそうした気配を感じることはありますか?
よじょう まだ掴(つか)みきれないところはあるんですが、何となくそういった気配を感じることはありますね。何が出てくるかわからないので、常に緊張感があるので。
矢野 猟師さんがおっしゃっていたのは、森に人が入るとまず虫が最初に反応し、そして鳥が鳴き、獣たちが蠢(うごめ)きだすというようなことでした。僕には全然わからない感覚だったんですが。
よじょう 僕もまだまだですが、動物がいるかいないかという気配はちょっと感じられるようになってきました。それこそいないときはシーンとしているんですよ。
矢野 そういった感覚はやはり年々培われていくんですかね。
よじょう そうだと思いますね。ベテランの方たちは、天候を見ただけで、「今日おらんわ」って言ってその時点で行かないなんてこともありましたし。
矢野 すごいですね。よじょうさんも徐々にその動物の気配に対しては敏感になっていってますか。
よじょう まだまだですけどね。そういえば、初めての狩猟のときは鹿だったんですが、目が合っても逃げなかったんですよ。師匠に「気配がないタイプなんちゃうか」と言われました(笑)。家でも嫁に「帰ってたん!?」って驚かれるくらい、気配がないみたいです。
矢野 相手に悟られずに近づくのは武道でも重要な技術なんですよね。猟でもそれが活きるのかもしれませんね。
よじょう 矢野さんは武道をやられていて、何か狩猟と通じるものを感じたりされましたか?
矢野 どうでしょう。ここまで小説として狩猟のことをがっつり書きましたけれど、それでもやっぱり狩猟に関しては門外漢だという感覚はあるんですね。想像の部分もすごく多い。だから、共通点とかをわかった気で語るのは難しいです。今回のお話でよじょうさんにリアルと評していただいたのにはほっとしています。
――『猪之噛』のクライマックスでは、巨大な猪との対決が描かれます。よじょうさんは、あの描写をどう感じられましたか?
よじょう リアルな部分とエンタメのバランスが絶妙でした。あんなに巨大な猪は現実にはなかなかいないですけど、ここまで徹底してリアルな描写が続いた後に、あのアクションが来ると、すごく面白かったです。
矢野 猪にパーソナルな背景を持たせず、得体の知れない存在として描いたのは意図的でした。リアルな部分はしっかり描きつつ、物語としての迫力も持たせたかったんです。アクションについてうかがいたいんですけれど、実際に獣と対峙しているときって、作中のマリアたちのように頭の中でたくさんの言葉をしゃべったりしていますか?
よじょう もう、集中しきっていて、あまり言葉が頭の中をめぐってる感じはないかもしれませんね。いかに首から上を狙うかというのに集中して、見て、撃って。そうですね、何も考えていないかも。
矢野 そうですよね。それは武道でもそうかもです。ある種反射的に相手の動きに合わせて体を動かすので、実際にはあまり考えていない部分も大きい。でも、小説としてアクションを描くには、瞬間瞬間を思考としてとらえていかないと面白くならない。
よじょう エンタメのアクションとしてほんまに面白かったです。それにしても、矢野さんの取材力はすごいですね。ほんまにリアルで、読んでいて「そうそう、こういうことある」と思える場面ばかりでした。
矢野 初めての現代ものだったので、現場に足を運び、実際に見て、聞いて、感じたことを大切にしました。よじょうさんのように実際に猟をされている方に読んでもらえて、リアルだと言ってもらえるのは本当に嬉しいです。
よじょう 狩猟という営みへの理解を深めるきっかけになる作品だと思いますし、多くの方に読んでいただきたいですね。
「小説すばる」2025年12月号転載

