「ここアメリカ…大リーグの社会は、シビアなビジネスの世界だということを、このオフに嫌が上にも分かると思うんです。その未来を受け止めて、プレーすることが大事だし、そうじゃないと次に進めない。嬉しいとか、悲しいとかいう感情論の一歩手前で、まずは自分のこれからの行動を決めなければならないと思う」
今永昇太(今季終了の翌週@シカゴ)
既報の通り、現地11月18日の午後、カブスからフリー・エージェント(FA)になっていた今永が、同球団から提示されていたクォリファイング・オファー(QO)を受諾し、来季もカブスでプレーすることが決まった。
日本のプロ野球を基準に考えると、QOという制度を理解するのは容易ではない。FAについては、(随分と形態は違うけれど)日本にも存在するので説明不要だろうが、QOはメジャーリーグ(MLB)独自のものだからだ。FAとドラフト両制度の関係上、日本では今後も導入されることはないだろうから、MLBがこの制度を保持していく限り、我々のような日本人メディアは、日本人選手がQOを受けるたびに、半永久的にその説明を試みていかねばならない。
QOは2012年の労使協定で初めて導入されて以降、協定期限の度に、MLBと同選手組合が協議継続してきた制度である。「FA制度と連動する競争力のバランス保持のための対策」だ。FA選手を放出した球団への救済策の一つと捉えれば、日本のFA選手放出時に与えられる「人的補償」と似てなくもないが、構造上は決定的に違う。MLB各球団がFA権を得た優秀な選手を引き留めたり、その選手を獲得した球団からドラフトの上位指名権を譲渡される制度である。
▼球団がFA選手にQOを提示できる2つの条件
①当該選手が過去にQOを受けたことがない。
②当該選手がシーズンを通して球団の出場選手枠に在籍していた(=シーズン途中に獲得した選手はQOの対象外となる)。
QOが選手に提示されると、選手は10日以内にオファーの受諾、もしくは拒否を決めなければならない。選手が拒否し、FAとなって他球団と契約した場合、その球団から前所属球団に対してドラフト指名権を譲渡する。ただし、選手はどの球団に所属したかに関係なく、キャリアを通してQOを一度しか受け取ることができない。
記憶に新しいところで言えば、QOが日本で大きく報道されたのは、大谷翔平選手がエンジェルスからFAになった23年オフだろう。当時のエンジェルスも大谷にQOを提示したが、こちらは受諾されなかった。後に大谷がドジャースと10年7億ドルの史上最高契約を勝ち取ったため、エンジェルスは翌年のドラフト上位指名権をドジャースから譲渡された。その指名権(2巡目全体74位)で獲得したのが今季、MLBデビューした23歳のライアン・ジョンソン投手である。
QO拒否からのドラフト指名権の譲渡で入団し、活躍している選手の中には、今季のアメリカン・リーグMVPアーロン・ジャッジ外野手(12年オフにニック・スウィッシャー外野手を獲得したインディアンス/現ガーディアンズから譲渡された指名権)や、大谷の相棒としてプレーオフで大活躍したウィル・スミス捕手(15年オフにザック・グレインキー投手を獲得したダイヤモンドバックスから譲渡された指名権)などがいて、(確率はそれほど高くないかもしれないが)「競争力のバランス保持のための対策」として機能している。 QOの金額は、そのシーズンの年俸上位125選手の平均年俸と同額で自動的に決定される。今オフの場合2202万5000ドル(約34億円)に設定されている。平均年俸は毎年変わるので、来オフはまた違う金額になると予想される。去年は2100万500ドル(約32億円)だったので、今年は4.6%も上昇したことになる。
ファンにとっては、カブスが今永と契約した当時の我々日本メディアの報道で4年総額5300万ドル(約77億円)と伝えられていたはずなので、「なぜ、2年目のオフにFAになるの?」と疑問に思われたことだろう。
自戒を込めて言い訳すると、それはQO制度の説明同様、「◯年◯億円」とシンプルに説明できるようなものではなく、詳細に説明する紙幅が、特に新聞紙上にはないからだ。
今永の契約内容は当初から、2年目終了後に球団側が3年5700万ドル(約88億円)、今永にも単年1525万ドル(約23億円)と両方に契約延長オプションがついていた。今永がFAになったのは、球団も自身もこれを破棄したためである。
今回、今永が受諾したQO=単年2202万5000ドルの契約は、球団の契約延長オプションより年数も総額も少ないが、今永が保有していた単年1525万ドルより700万ドル(約10億8000万円)近く工学で、日本風に言えば「大幅昇給」にはなったわけだ。
カブスはシーズン後半に調子を落とした今永と長期契約を結ぶリスクを避け、QOを拒否されても、他球団から補償としてドラフト指名権を譲渡されるメリットを生かしながら、よりリスクの少ない単年契約で呼び戻すことができた。現時点では双方にとって最適解だったのだろう。
冒頭のコメントにもあるように、今永は今季終了時点ですでに、カブスへの愛着がありながらもポスティング制度を経てMLBに移籍した経験もあって、球団=買い手、選手=売り手という意識をしっかりと持っていた。
「このシステム上、僕を一番最初に評価するのはカブスなので、そこで評価されれば選手冥利と言えるはずなんです。でも、違うチームから評価されて、そこでプレーすることになるなら、そこで頑張るしかない。あとはこの競争社会において、自分が今どの立ち位置にいるのかを知るいい機会にはなると思う。自分の人生を考える、そういう分岐点は多くないと思う」
今永が来オフまでにカブスと新たに契約を延長する可能性は残されている。MLBは日本みたいにFA=決裂というわけではないので、たとえFAになったとしてもカブスとの再契約は可能なのだが、基本的に彼は来オフ、再びビジネス上の決断を下すことになる。
ただし、それはそんなに悪いことではない。
前述したように、QOには「選手はどの球団に所属したかに関係なく、キャリアを通してQOを一度しか受け取ることができない」ルールがある。否定文だからネガティブな響きに聞こえるだろうが、それは今永がこのまま来オフにFAになれば、獲得球団はドラフト指名権をカブスに譲渡する必要がないということだ。つまり、各球団にとって、今年以上に獲得しやすくなるというわけだ。 単純に数字上の損得で考えれば、3年5700万ドルの契約延長オプションからQOの単年2202万5000ドルが引くと、残りは2年3497万5000ドル(約54億円)。それ以上の契約を勝ち取れると考えれば、今オフの展開もプラスに思えてくるから不思議なものである。
MLBに義理や人情がないわけではないが、選手の年俸総額が高騰し続けている中、ビジネス上の決断に感情が入り込むことはない。カブスが「3年5700万ドルを保証するのは難しい」と判断したのはあくまでも、(とても乱暴に書いてしまうと)前半戦は12試合68.0回を投げて防御率2.65、11被本塁打という数字が、後半戦は13試合76.2回を投げて防御率4.70、20被本塁打と極端に落ち込んでしまったからである。
それでも彼らが「単年2202万5000ドルの価値はある」と判断したのは、たとえばWHIPは前半戦0.93から後半戦1.04と比較的、安定していた上に、奪三振率は6.35→8.10、K/BB(奪三振と与四球の比)は3.00→6.90へと大幅に改善したからだ。
QOを提示したことでも分かるように、ジェッド・ホイヤー編成本部長をはじめとするカブス経営陣は今永を「主戦投手の一人」として評価しているし、クレイグ・カウンセル監督やトミー・ホットビー投手コーチといった現場の人々も、今永と仕事をすることを楽しんでいる。今回のQO受諾が双方にとって最高の結果につながればいいなと思う。 今永と最後に直接、話をしたのは、ホイヤー編成本部長が同じビルの中で今季総括を行う前日のことだった。その時、今永はこう言っている。
「(プロ野球生活は)今年10年目が終わったことになる。いつキャリアを終えるのか分からないですけど、もう32歳なんで、折り返し地点は過ぎてる確率の方が高いと思う。だから、いつ野球を辞めてもいいような選手生活を送りたい、とは思いますけどね」
彼は今オフ、メジャーリーグにおける立ち位置を知り、野球人生の分岐点で一つの決断を下した。来オフはそれがさらに鮮明になり、さらに今後のことを考えていくことになるだろう。
すべては来季次第。結果がすべてのプロの世界で、今永昇太は投げ抜く覚悟を決めている。
文●ナガオ勝司
【著者プロフィール】
シカゴ郊外在住のフリーランスライター。'97年に渡米し、アイオワ州のマイナーリーグ球団で取材活動を始め、ロードアイランド州に転居した'01年からはメジャーリーグが主な取材現場になるも、リトルリーグや女子サッカー、F1GPやフェンシングなど多岐に渡る。'08年より全米野球記者協会会員となり、現在は米野球殿堂の投票資格を有する。日米で職歴多数。私見ツイッター@KATNGO
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