2025年のスーパーフォーミュラが閉幕した。ルーキードライバーの中で最多得点者に与えられる同年のルーキー・オブ・ザ・イヤーは、文句なしでイゴール・オオムラ・フラガ(PONOS NAKAJIMA RACING)となった。
第3戦もてぎでの3位表彰台を筆頭にコンスタントにポイントを稼いできたフラガは、鈴鹿での最終ラウンドで躍動。第11戦で優勝を争い2位を獲得すると、翌日の第10戦では初優勝。最終戦も4位で終え、77.5ポイント獲得のランキング6位でシーズンを終えた。今季は数多くのルーキードライバーがエントリーしたが、フラガの成績に肉薄できたドライバーは誰もいなかった。
日系ブラジル人ドライバーのフラガは、幼少期は日本の石川県で育ち、その後家庭の事情で両親の母国ブラジルへと移り住んだ。それからは経済的な問題もあり、F1を目指すレーシングドライバーとしての王道を進むことができなかったが、参戦したカテゴリーの多くで結果を残し、グランツーリスモの世界王者にも輝くなど非凡な才能を見せつけてきた。
しかしフラガは2020年にFIA F3を戦った後、数年間レースを戦えない時期があった。そのため2022年秋に再来日して日本で活路を見出すことになるのだが、スーパーフォーミュラへのステップアップには2年を要した。その間スーパーフォーミュラのアンバサダーを務めてレースの現場には関わっていたが、人知れず悔しい思いをしていたという。
フラガはシーズン閉幕後の記者会見で、次のように語った。
「今シーズンは自分の存在感を示すことがすごく重要だったと思います」
「過去にカートでやり合った選手がスーパーフォーミュラやスーパーGT・GT500、海外などで活躍していたり、ジュニアフォーミュラでやり合った選手がF1に行ってたりしている中、『なんで自分はレースができていないんだ』と思ったのが2年前でした」
「2023年の開幕イベントに参加した時、みんな(参戦ドライバー)のカッコいいプロモーションビデオが流れて、めちゃくちゃ悔しい思いをしました。今年乗ることができて、育成出身ではない、メーカーに関係していない自分にとっては、このチャンスは絶対に無駄にできないと思っていました」
「意地を見せてやるしかないと思っていたので、本当に嬉しいです。やっとトップと遜色ないパフォーマンスを出せたと思っていますし、来年どうなるかは分かりませんが、チームと一緒に良い仕事ができればと思っています」
途中から感極まり、声をうわずらせて話していたフラガ。彼は第10戦で優勝した際、ウイニングランで号泣していたと明かし、その際には「親がどれだけ苦労して僕をここまで来させてくれたか」が脳裏をよぎったと話していたが、当時の苦労について改めて尋ねた。
前述の通り、フラガは経済的に恵まれた家庭ではなかったが、両親はそれでも息子の夢を応援し続け、かなり無理をしていたようだ。
フラガは再びあふれる涙を拭いながら、次のように語った。
「自分は裕福な家庭ではありませんでした。カートに乗っている時には、親が週5や週6で働いている中、毎週末石川県から琵琶湖(スポーツランド)や関西まで、深夜までかけて連れて行ってくれました」
「レースができなかった時にも、チャンスを与えたいと諦めないでいてくれました。銀行から借金もしてくれたんです」
「アメリカに行った時も、自分と父でクルマのメンテをして、メカのコストを抑えていました。でもシーズンの最後までは支払いができなくて、シーズン終わりのテストには、自分が乗っていたクルマに別のドライバーを乗せて、そのクルマのメンテをしたこともありました」
「それを全部乗り越えて今があるので、感謝しきれないです」
記者会見場を、温かい拍手が包んだ。

