テリー すごいと言えば、長嶋さんって、松井秀喜に電話でバッティング指導したっていう話がありますよね。「素振りしてみろ」って言って、「それは違う」「今のはいい」って言ったっていう。感覚としてはわかる気もしますけど、すごすぎますよね。
徳光 でも、それは長嶋さんにしてみれば当たり前だったみたいですね。僕が聞いた話では、「バッティングは手応えではなくて、耳応えだ」って言うんですよ。
テリー 耳応え?
徳光 ええ。長嶋さんの家の車庫の横に光がまったく当たらない暗闇の部屋があって、スランプの時なんかによくそこで素振りをされると。それを何度も繰り返しているうちに、素振りの音で「この音だ」っていうのがわかるそうなんです。
テリー はぁ〜。
徳光 だから松井や掛布(雅之)さんが「受話器をそこに置いて振ってみろ」って言われて、「何なんだろう」と思いながら素振りしたら、3回目とか4回目に長嶋さんが「その音だ」って。長嶋さんにとっては「耳応え」だからスイングは音で聞かなければいけない。そういうところは長嶋さんでなければわからないところじゃないですかね。
テリー ミスターは天才じゃないですか。だから、監督になってから「あ、こういうことは普通はできないんだ」っていうジレンマがあったんじゃないかと思うんですけど。
徳光 たぶん、ありましたよね。それで僕は思うんですけれども、それを松井だけができたんじゃないですかね。
テリー ああ!
徳光 この間、原(辰徳)さんや中畑(清)さんと話した時に思ったんですけどね。僕は今、「プロ野球レジェン堂」という番組をやっていまして。レジェンドの人たちにいろいろなお話を伺うんですけれども。ほとんどの人たちが「長嶋さんに憧れた」っていう話になるわけですよね。
テリー そりゃ、そうですよね。
徳光 ところが原さんが代表して話してくれたのは「自分たちの世代は長嶋さんの背中を追いかけたり、背中を見て育ってきたんだけど、松井だけが正面から見て、なおかつ育ったんじゃないか」。
テリー うわぁ、それ、すごい言葉だなぁ。
徳光 そうですよね。僕もこれはほんとにすごい言葉だと思いました。
テリー でも要するに、それって松井が長嶋さんの期待に応える力を持っていたということですよね。
徳光 そうなんですよ。だから、それを見越して長嶋さんは松井に正面から教えたんじゃないかと。松井は阪神ファンだったから、他の人ほど長嶋さんへの思い入れも少なくて、それが逆によかったんじゃないかと思いますけれども。
テリー ミスターが亡くなった後、松井がミスターとの約束について言葉を濁してましたけど、あれは何だと思います?
徳光 あれは監督でしょう。
テリー でもね、松井ほどの人格者があんなオフィシャルの場でそれを言うかなと。それは現監督の阿部(慎之助)さんにも失礼じゃないですか。「そんな約束があるんですよ」って言うのは。
徳光 だから僕、今「ジャイアンツの監督」とは言ってないですよ。
テリー ですよね?
徳光 だから、監督なんですよ。メジャーかもしれないし、ジャイアンツかもしれない。
テリー でも、ジャイアンツはないでしょう。
徳光 僕もメジャーの監督だと思ってますけどね。でなければ、ああいうふうに言葉を濁さない。ジャイアンツは実際に松井にオファーしてるからね。
テリー でも彼は受けないじゃないですか。
徳光 これは若干聞いた話もあるし、こちらの推測もあるんだけれども。松井がOKしなかったのは、ひとつはお子さんをアメリカで育てたいという奥さんの非常に強い意思があったんですよね。そして、もうひとつは長嶋さんが巨人軍の監督と言ってなかったんじゃないかと。
テリー 言ってない?
徳光 ええ、おそらく。でもメジャーの監督とは言ったかもしれない。もし、そうなったら日本人で初めてじゃないですか。松井秀喜ならできると思うんですよね。だから、みんなジャイアンツの監督って思っているけれども、そこは違うんでしょうね。
ゲスト:徳光和夫(とくみつ・かずお)1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後の1963年、日本テレビ入社。プロレス中継をはじめ、「うわさのチャンネル」「紅白歌のベストテン」などに出演。特に1979年3月スタートの「ズームイン!!朝! 」では総合司会を9年間務め、同局の顔に。1989年、フリーアナウンサーに転身。「24時間テレビ」や「世界ウルルン滞在記」(毎日放送・TBS系)など多くの人気番組で司会を務めた。現在は「路線バスで寄り道の旅」(テレビ朝日系)、「徳光和夫の名曲にっぽん」(BSテレ東)、「プロ野球 レジェン堂」(BSフジ)、「徳光和夫 とくモリ! 歌謡サタデー」(ニッポン放送)、YouTube「人生ジャイアンツ」(日テレジータス公式)などにレギュラー出演中。

