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「歴代首相のなかでは異色」安倍晋三と妻・昭恵の夫婦関係

「歴代首相のなかでは異色」安倍晋三と妻・昭恵の夫婦関係

首相官邸HPより
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は安倍晋三(中)をお届けする。

結婚式の媒酌人は元首相の福田赳夫

歴代首相のなかでは異色、妻は夫の後ろを3歩下がって歩くなどとはほど遠い、なんとも今日風な「仲のよい友達のような夫婦」は、どのような経緯をたどって誕生したのか。

安倍晋三と森永製菓の社長を務めた父親を持つ松崎(旧姓)昭恵が結婚したのは、昭和62(1987)年6月、安倍33歳、昭恵25歳であった。結婚式の媒酌人は、元首相の福田赳夫が務めた。

もとより、昭恵は「生まれながらのセレブ」「お嬢さん」として、聖心女子学院附属幼稚園から聖心女子専門学校英語科を卒業するまで一貫して「聖心」で学び、卒業後は大手広告代理店の電通に勤めた。

また、昭恵は身長168センチ、青春時代はのびのびと育っている。スキー、テニス、バドミントン、ゴルフとスポーツはなんでもござれ、一方で高校時代には人気ギタリストのCharの追っかけをしたり、六本木のディスコに通ったり、活発な娘でもあった。もとより、政治などにはまったく興味はなかった。

対して、安倍は小学校から大学まで「成蹊」で学び、大学では法学部政治学科を卒業後、南カリフォルニア大学に留学して政治学を修めた。子どもの頃から政治家になることが定めと自覚していた一方で、映画監督への憧れもあったとされている。

こうした2人の結婚は見合いで、昭恵の電通時代の上司が仲を取った形になっている。時に、安倍は父・安倍晋太郎(元外相)の秘書官であった。

結婚までの交際は3年ほどだったが、昭恵はその頃をおおむね次のように述懐している。【歴代総理とっておきの話】アーカイブ

交際期間中にグリコ・森永事件が発生

「(安倍の)顔はまぁハンサムだったが、真面目で堅い雰囲気があった。デートは2週間に一度くらいのペース。政治家の妻には不安がいっぱいだったので、『私で大丈夫かしら』と聞くと、主人は『大丈夫。大変なことなんか全然ないし』って言っていました」(『文藝春秋』平成18年11月号=要約)

安倍はデートの際、外車を自ら運転してくることもあったらしいが、こんなエピソードを残している。

のちに安倍派を担当した政治部記者は言っていた。

「交際期間中にグリコ・森永事件が発生した。その頃、昭恵さんの父親はまだ森永の社長だったから、当然、松崎家では警視庁の刑事が警備にあたっていた。すると、夜、昭恵さんが男の運転する車で送られてくることがあり、警察は当然、車のナンバーから安倍晋三の名前を割り出していた」

それにしても、挙式後は“大変”であった。安倍は父親の後継者と目されていたことから、地元の山口県下関で3000人を集めた披露宴をはじめ、選挙区内の数カ所でも“お披露目”の会をせざるを得なかった。昭恵にとって、安倍いわくの「大変なことなんか全然ない」どころではなかったのであった。

平成5(1993)年7月、2年前に亡くなった父の遺志を継いだ安倍は、総選挙出馬に名乗りを上げ、昭恵の日々は一変を余儀なくされた。

この「弔い合戦」を取材していた山口県の地元記者が、次のような話を残している。

配信元: 週刊実話WEB

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