関係者の部、一般の部を合わせて約3万2000人が別れを告げた「ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会」(11月21日、東京ドーム)からしばらく経つが、実はミスターがやろうとしてできなかったことが2つある。
ひとつはメジャーリーグから捕手を獲得すること。もうひとつは2軍などの育成システムを改革し、メジャーリーグ並みのシステムを作ることだった。
1975年に長嶋氏が監督に就任するやいなや、真っ先に取り組んだのは、当時メジャーNo.1捕手といわれた、ジョニー・ベンチの獲得だった。類いまれなインサイドワークと肩の強さに長嶋氏は、
「捕手は野球の要。そこにメジャーの選手を据えれば野球のスピード、考え方など全てが変わる。日本の野球を根本的に変えたかった」
晩年、そう語っていたのだ。だが、その思いは遂げられず。
第二次政権でもベニート・サンティエゴというメジャー捕手の獲得を狙ったが、巨額年俸がネックになって実現しなかった。
そしてファーム改革だが、
「ジャイアンツの2軍は選手が育つシステムではない。抜本的に改革したい」
そんな信念から、ドジャースのアイク生原氏を2軍監督として迎えたかったのだが、アイク氏は長嶋氏が監督復帰する前年の1992年に死去してしまった。生原氏の死去は長嶋野球を実現する上で、大誤算だった。
長嶋氏が問題視したのは、巨人というネームバリューを利用し、2軍に巣食う古参OBが数多くいたこと。球場設備が貧弱なこと。育成方針が曖昧なことだった。
その後、早稲田大学監督、社会人野球のプリンスホテル監督を経験した石山健一郎氏を2軍責任者に抜擢したが、巨人OBの総スカンを食い、改革はできなかった。
2000年代に入り、ソフトバンクが3軍制を敷くなど、ひと足早く育成システムを見直した。それに追随する形で各球団がファーム体制を見直し、巨人もようやく今年、2軍のジャイアンツ球場を大幅に改装した。長嶋氏の発案から30年以上が経過していた。
とはいえ、メジャー現役捕手の獲得は、いまだ実現していない。メジャー捕手が来たら、4年連続盗塁王の阪神・近本光司でも盗塁は困難になる。「スピード&チャージ」という長嶋氏が夢に描いていた野球は、未完のままである。
(健田ミナミ)

