「毒親育ち」「トラウマサバイバー」という自覚があり、なんとかトラウマを癒そうと試み、完全でないまでも克服に成功した人を取材してきたノンフィクションライターの旦木瑞穂氏。夫と子どもにモラハラをしてしまった過去を後悔する女性の話を紹介する。
新刊『「毒親の連鎖」は止められる トラウマの呪縛を克服した10人のケース』。より、一部抜粋、再構成してお届けする。
結婚10年目の危機
東北在住の佐伯美幸さんは、33歳の時、小さな工場を経営している5歳上の夫の帰りが遅くなる頻度が増えてきたことが気になっていた。そして次第に、入浴する際もスマホを脱衣所まで持っていくようになったため、「まさか?」と思い、こっそり入浴中の夫のスマホを見てみた。
パスワードは知っていたため、夫のスマホは簡単に開いた。その瞬間、自分の予感が正しかったことを思い知る。
「こないだ楽しかったよ」「また会いたい」「大好き」などという知らない女性からのメールと共に、その女性のものと思しき数枚の裸の写真を見つけたのだ。
入浴を終えた夫を待ち、佐伯さんはスマホにあったメールを見たことを伝え、どういうことなのか問いただした。
すると夫は申し訳なさそうに言った。
「家族を大切に思っている。でも君が僕のことを大事にしてくれないから、大事にしてくれる人になびいてしまった。すぐに別れる。ごめん」
車やバイクが趣味の夫は、家族と出かけることも多かったが、「バイクで景色を見に行く」と言って1人でふらっと出かけることもあった。相手の女性もバイクが趣味で、その時に出会ったのだという。彼女は佐伯さんより2歳下の派遣社員で、夫曰く、「笑顔が多くて文句を言わない人」。
もともと看護師だった佐伯さんは、結婚して2人目を出産した後、夜勤のある看護師の仕事と2人の子育ての両立は難しいと思い、専業主婦になった。
当時はまだ息子が8歳、娘が4歳になったばかり。しおらしく頭を垂れる夫を前に、佐伯さんは夫の言葉を信じ、子どもたちのために関係修復に努めることにした。
6歳で一家離散
東北生まれ、東北育ちの佐伯さんの両親は、中学校の同級生同士だった。高校卒業後の同窓会で父親が母親のことを気に入り、交際に発展。23歳で結婚し、25歳の時に佐伯さんが生まれた。
父親はプロパンガスの配送員、母親はデパートの販売員だった。
「父は亭主関白気質。友人は多く、パチンコが好きでした。家族で出かけた思い出は、パチンコ屋さんのベンチで妹と2人、ジュースを飲んでいたことが鮮明に残っています。父は家では寝てばかりいました。母は、自分ではおとなしい性格と言っていましたが、私たち子どもにはよく怒る人でした。おもちゃを片付けないと、『片付けないなら捨てるよ!』と言って本当にゴミ袋に入れられましたし、『早く寝ないと怖いおじさんが来るよ!』と言ってよく脅かされました」
結婚後は専業主婦になった母親だったが、佐伯さんの誕生から2年後に妹が生まれてからは、化粧品の訪問販売を始めた。
やがて佐伯さんが小学校に上がって間もない5月。両親が離婚し、佐伯さんは父親とともに父親の実家で暮らすことになり、母親と妹は母親の実家で暮らすことになった。
「離婚の原因は、母が友人の借金の保証人になってしまったことと、化粧品の訪問販売の仕事で、化粧品を一括購入したため、全部で400万円の借金があることがわかったからでした。借金のほとんどは父方の祖父が返済したようですが、その条件が、『今後一切、息子(佐伯さんの父)や美幸(佐伯さん)とは関わらないこと』だったため、その後私は何度も妹に手紙を出したのですが、返事をもらったことはなく、寂しい思いをしました。私が中3の時に妹と再会できたのですが、その時に、妹からの返事を父方の祖母が隠していたことが分かりました」

