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〈ジョン・レノン生前最後の…〉「1位になったら出てよ」エルトン・ジョンの軽い一言が生んだ奇跡の夜

〈ジョン・レノン生前最後の…〉「1位になったら出てよ」エルトン・ジョンの軽い一言が生んだ奇跡の夜

1974年11月28日、マジソン・スクエア・ガーデンで起きた奇跡の共演がある。「人生とキャリアにおけるハイライト」とエルトン・ジョンが話す、ジョン・レノンとのまさかのライヴには、二人の軽いやり取りから始まったという。いったい何があったのか。

「じゃあ、もし1位になったら僕のライヴに出演してよ」

「誰もがそれを信じられなかったくらい、本当に感動的な夜だった」

1974年11月28日にマジソン・スクエア・ガーデンで開催された自身のコンサートについて、エルトン・ジョンはそう振り返った。

ジョン・レノンがアンコールに参加してくれて、一緒に3曲も演奏してくれたのだから無理もない。

その発端となったのは、ジョン・レノンとの間でちょっとした軽いやり取りがあったからだ。

アルバム『心の壁、愛の橋(Walls and Bridges)』を制作していたジョンがいるスタジオを、エルトンが訪ねたのは1973年9月のことだった。

エルトンはその時、レコーディング中だった「真夜中を突っ走れ(Whatever Gets You Thru the Night)」を聴いて、ピアノを加えたらどうかと提案した。

ジョンがそのアイデアを喜んで受け入れてくれたので、エルトンはピアノとオルガンを弾いただけでなく、ヴォーカルもデュエットすることになった。

出来上がりを聴いたエルトンは、その場で「シングルにしたら絶対1位になるよ」と進言した。

だが、ジョンはまるで取り合わずにこう言った。

「100万年かかっても、この曲が1位になることはありえないね」

そこでエルトンは、ジョンに一つの提案をした。

「じゃあ、もし1位になったら僕のライヴに出演してよ」

ソロになって以来、ライヴを避けてきたジョンは、この時はあっさり「OK」と返答した。その場のノリで軽く言っただけなのかもしれない。

別居中だったオノ・ヨーコも見に来たジョン・レノン生涯最後のライヴ

やがて周りの声に説得されたジョンが、この曲をシングルでリリースすることになった。そして発売から1ヶ月が過ぎた11月16日、ビルボード・チャートで『真夜中を突っ走れ』が1位を記録したのである。

ジョンに「約束、覚えてる?」という電話がかかってきた。もちろん、その声はエルトンだった。

11月28日、マジソン・スクエア・ガーデンで開かれていたライヴの後半、エルトンの紹介でジョン・レノンが登場した。会場からは割れんばかりの歓声が湧き上がり、しばらくは観客の興奮が収まらなかった。

飛び入りで参加したジョンは、エルトンと2人でまず『真夜中を突っ走れ』を披露した。続いてエルトンがカバーしていたビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド(Lucy in the Sky with Diamonds)』と、『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア(I Saw Her Standing There)』の3曲を演奏して、ステージを後にした。

その夜、会場にはジョンと別居中だったオノ・ヨーコが観に来ていた。コンサート終了後の楽屋で再会した二人は、長かった“失われた週末”に終止符を打ち、夫婦としての関係を修復していくことになる。

しかし、まさかこれがジョン・レノンの生涯における最後のライヴとなるとは、その時は誰一人として思ってもみなかった。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

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