
「サッカー選手はサッカーだけするのがすべてではない」人を笑顔にさせ、ピッチ内外で輝きJ1通算300試合出場。改めて振り返る登里享平の貴重な17年の道のり
クラブの盛り上がりにつながるのであればと、率先してピッチ外の活動にも携わり、プロデューサーのごとく、チームメイトたちを巻き込んで企画を立てる。その姿から“ノボリP”の愛称で親しまれる男は、ピッチ上でも左SBとしていぶし銀のプレーを示し、今年3月には史上145人目となるJ1通算300試合も達成した。現在は左膝の手術で離脱中だが、紆余曲折を辿ってきた登里享平の歩みに改めて迫るインタビューである。
(第2回/全3回)
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日本のトップカテゴリーで積み重ねてきた300という数字。酸いも甘いも経験してきたからこそ、出場数を大台に乗せられた事実には素直な喜びがある。
「感概深いですね。自分自身は、エリートではないですし、ずっと試合に出続けられた選手でもない。だからこそホンマにコツコツやってきた。そこに対する自信、誇りはあります。試合に出られない時期も、試合に出られる時期も、サブや準レギュラーであっても、チームの中心になってからでも、積み重ねてきた。
怪我も多かったなかで、300試合出場を17年かけて達成できました。普通に考えたら遅いほうだとは思いますが、それでもここまで来られたのはすごく幸せです」
高卒として2009年に加入した川崎で長年チームを支え続け、33歳で迎えた昨季、地元のC大阪へ移籍。苦しい時も、順調な時も、常に自分に矢印を向けてきた――それが登里が築いてきた道であった。
「性格的な部分なのか分からないですが、どんな状況も受け入れながら、他のことに矢印が向きそうになっても結局は自分自身だと考えて取り組んできました。試合に出られない時もそれを受け入れ、自分のため、チームのためにと、歯を食いしばってやってきたつもりです。
意識してきたのは客観的に物事を捉えること。その時々の状況を受け入れ、どうすれば良い方向に変わるかを考える。その点では試合に出られない時期、試合に出られる時期、両方を経験してこられたのが大きいですし、だからこそ今の僕があると思います」
他人や環境のせいにしない。常に自分と会話し続ける。そこがピッチ内外で長く輝きを放てている秘訣なのだろう。そのベースには育ってきた環境があり、アタッカーとして3年連続で冬の選手権にも出場した香川西高時代を経て、川崎に加入したことも大きかったのかもしれない。
「1年目からいきなり出られる選手もいますし、出られずに腐ってしまう選手もいる。でも僕はフロンターレは凄い選手ばかりいることは理解していたので、出られないのは当たり前かなと思い、入団しました。それにこの環境だからこそ成長できると自分で選んだからこそ、自分にその時々で何が必要か常に考えるようにしていましたね。
育った環境? 両親にはサッカーのことで、何か言われた記憶はないんですよね。一回だけ、中学の時に練習をサボって、ゲームセンターで遊んでいたのを見つかった時は、おかんに『サッカーやるか、遊ぶか、ハッキリしなさい』って言われたことはありました。その時に『サッカーをする』って決めた。だから強く言われたのもその時くらい。おとんはサッカー好きやけど、プレーに対して何か言われた記憶はないですね。
挫折? それもこれというのはなく...。小学生の時はサッカーが楽しくて、中学生ではサッカーが面白くないと感じる難しい時期も少しありましたが、それくらいですかね。両親は小、中とほとんどの試合を見に来てくれましたし、高校も主要な大会などは大阪から香川へ来てくれた。本当ありがたかったですね。
進路を自分で決めさせてもらえたことも大きかったです。中学を卒業したら大阪を出てチャレンジしたいと考えていましたし、節目の決断を自分でしてきたからこそ、良い方向に転ぶやろっていう考え方を常に持っていました。ちょっと難しい時期があったとしても、いずれかは良い方向に転ぶはずだって。そこは凄くポジティブシンキング、楽観的なのかもしれないですね」
言葉どおり、難しい時期でも明るく振る舞い、周囲を盛り上げる。その姿が彼の何よりの真骨頂だ。そこには温かく見守ってくれた両親の影響もあったのだろう。
「小学校や中学校授業では『もうほんまに頼むから黙ってくれ』って先生から言われる生徒でした(笑)。でも、サッカーになると黙って話を聞くことができた。そこは今につながっているのかなとも感じます。その点では自分の息子も落ち着きがなく、『俺が電話している時くらい1分でいいから静かにしてくれ』って言っていますね。オカンに聞いたら『僕の小さい時にもうほんまにそっくり』だって(笑)。
おとんも話好きやけど、おかんはもうずっと喋っている(笑)。その姿を見ていたら、みんなも自分のことをそういう風に感じているのかなとも思いますね(笑)」
冗談っぽく笑うが、その話術が、ポジティブな性格が、疎まれることはない。C大阪の広報スタッフもその姿に感銘を受けているという。
「クラブの広報活動などを嫌な顔ひとつせずに積極的に協力してくれる。こんな選手なかなか出会ったことがない」
「キャンプの時って身体的にも精神的にもみんなキツイ。でもノボリさんは、クラブを盛り上げられるならと、なんでも協力してくれる」
そこにはひとつの矜持があるという。
「やっぱり、サッカー選手はサッカーだけするのがすべてではない。そういう環境の川崎で育ったのが大きかったですね。ケンゴさん(中村憲剛)も体現していましたが、本当にそうだと思いますし、クラブの魅力や選手のパーソナリティの部分を知りたいというファンの方はいるはずで、そういう方々が、どこまで何を求めているのかは常に考え、頭を動かしています。だって選手のピッチ外の姿って、なかなか外部の人には伝わりにくいじゃないですか。
その意識を持てたという点では川崎には感謝しかないですね。川崎での経験が今の僕を作り上げてくれている。そうして得てきたモノにプラスアルファしてセレッソでも取り組んでいますが、根本的には川崎で学んだことがやっぱり大きいですね。
だからこそ、ファン感もそうですし、デジっち(「やべっちスタジアム」の開幕前の恒例企画)などもそうですが、クラブの中身やクラブの色が見える企画は、大事にしないといけないと思っています。
メインはピッチ内、サッカーのパフォーマンスですが、周囲の人から何を求められているのかを感じ取る力もプロ選手には必要だと思うんです。だからより求められるなら、僕はもっとピッチ外の活動にも携わりたい。ただ一方で僕らはあくまでサッカー選手なので、出過ぎてもダメ。そこの塩梅も難しいですよね。あくまで、誰が主役かっていうのも考えなくちゃいけないですから。
そういう考えをもとに取り組んだひとつの形がデジっちで、出すぎないようにしていましたが、結果自分が一番出る形になっていた(笑)。でも自分にとっての面白いこと、好きなことで、周囲の方の期待に応えたいって常に思っているからこそ、取り組めました。
ただ先ほども話したとおり、セレッソになんで来たかというと、優勝を掴むため。だからそこの期待には応えられていない。みなさんのいずれの期待にも応えられるように今後もやっていきたいですね」
話を聞けば、今季のキャンプ途中で怪我を抱えてしまった登里は、「みんな厳しいトレーニングで大変だから自分がやる」と、恒例のデジっちを含め、PR活動を自発的に受け持ち、新シーズンに向けてC大阪の魅力を少しでも発信しようと取り組んだという。
キャンプでの出遅れは選手にとって痛すぎるが、悲観するでもなく、クラブのために動く姿にスタッフも「自分もしんどいはずなのに頭が下がる」と言葉を寄せる。
誤解のないきように言いたいのは登里は誰よりも真摯にトレーニングに励み、準備を怠らず、ピッチに立てばSBとしていぶし銀の輝きを放ち、そのうえで周囲を常に気にかけながら「別腹ですから」とPR企画にも積極的に参加していることだ。
サッカー選手とはピッチで魅せるものという考え方もある。一方で、地域との絆を大切にするJリーグにおいて「サッカー選手はサッカーだけするのがすべてではない」という考えを貫けるのは、よりエネルギーと勇気がいることだろう。その考えを実践する姿はやはり印象深い。
第3回に続く
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
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