
映画『果てしなきスカーレット』ビジュアル (C)2025 スタジオ地図
【画像】え、「何だ急に」「ハムレットじゃなかったのか」 コチラが『果てしなきスカーレット』でいきなり出てきた話題の「現代の渋谷」の場面です
『未来のミライ』で参考にしたのは息子の夢
11月21日より劇場公開中のアニメ映画『果てしなきスカーレット』の評価が、「大荒れ」になりました。公開初日にSNSで激烈な酷評が拡散され、徐々に擁護する意見や絶賛の声もみられるようになったものの、依然として映画.comでは2.8点、Filmarksでは2.9点(11月28日現在)とレビューサイトのスコアは低いままです。
その低評価に伴って頻出しているのは、「細田監督は脚本を書くのをもう諦めてほしい」「『国宝』の奥寺佐渡子さんを脚本家として呼び戻してほしい」という意見です。
これまでの細田作品では『時をかける少女』と『サマーウォーズ』は奥寺さんが単独で、『おおかみこどもの雨と雪』では奥寺さんと細田監督が共同で脚本を手がけていましたが、続く『バケモノの子』は細田監督の単独脚本で、奥寺さんは脚本協力にクレジットされました。そして『未来のミライ』からは、細田監督の単独脚本となっています。
なぜ細田監督の単独脚本は、批判される傾向にあるのでしょうか。振り返ると、「細田監督は脚本をほかの人に任せた方がいい」という指摘だけではすまない、もっと根本的な問題があるのではないか、脚本を手直ししたりするより前の、企画段階から誰かが介入する必要があるのでは、とも思えるのです。その根拠を記していきましょう。
「息子の夢」から話を作り上げた『未来のミライ』の問題
『バケモノの子』から単独で脚本を手がけた理由について、細田監督は公開よりも前(2014年末)のファミ通.comの記事で「これは僕にとってのチャレンジです。いままでは優秀な脚本家である奥寺佐渡子さんに頼ってばかりだったので、自分も修行をするつもりです」と答えていました。単純に、その「脚本の修行」がいまも続いていると言えるでしょう。
しかしながら、奥寺さんが脚本協力のクレジットからも離れた『未来のミライ』からの細田作品は、「脚本の作りというよりも企画段階から相容れない要素を含んでいる」と思ってしまうのです。
これまでも身近な経験を映画に反映してきた細田監督は、『未来のミライ』で「自身の息子が生まれてきた妹に嫉妬している」ことを物語の基盤としています。細田監督は起きたばかりの息子に「どういう夢を見ていたか」を聞きながら、『未来のミライ』をどういう話にするのかを決めていったとのことで、その夢のなかには「大きくなった妹に会った」というものもあったそうです。
そして、そういった夢がそのまま映画に取り入れられたものの、実際に出来上がった『未来のミライ』にはまさに「夢のような荒唐無稽さや支離滅裂さ」がありました。もちろん、それも含めて作品の魅力と言うこともできますが、物語の発端である「妹への嫉妬」という感情と、終盤に言葉で告げられるテーマが、有機的に結びついていないようにも思えます。
細田監督は自身の仕事を「脚本・監督」ではなく「企画・監督」だと思っている
「脚本というよりも企画段階から問題があるのではないか」という疑いは、今回の『果てしなきスカーレット』のSNSで公開されたショート動画で示された「意識」から、さらに強まります。
細田監督は
「脚本・監督ってクレジットされているけど、僕が本当にやっていることは本当は『企画』ですよね。『企画・監督』ですよ。その企画っていうのが脚本であり、それを企画通りに映画にしてみせるのが監督の仕事っていう」
と、「自身がやっていることは脚本というよりも企画」だとはっきり語っているのです。
もちろん脚本の定義は人それぞれあるでしょうが、筆者個人は脚本は何稿も何稿も書き直して細部をブラッシュアップしていく過程が必要だと思っています。企画という大局的なものは“プロット”に近く、脚本とイコールではないと思うのです。

映画『果てしなきスカーレット』で細田監督の実体験が反映された「看護師」のキャラ・聖 (C)2025 スタジオ地図
誹謗中傷をどう思っているのか
戦争という世界の大きな問題と、身近な経験が上手く融合していない
細田監督が今回の『果てしなきスカーレット』のアイディアのもとにしたのは、「コロナ禍がやっと明けて日常が戻ったかと思ったら、それを打ち砕くように世界のいろいろな場所で戦争が起こった」ことでした。細田作品のなかでは、例外的に「身近ではない世界の大きな問題」に向き合った企画であり、さらに、シェイクスピアの舞台劇(戯曲)『ハムレット』と、ダンテの抒情詩『神曲』からの影響も明言しています。
同時に今回も「コロナに感染して、看護師たちの優しさに救われた」という、細田監督自身の経験も反映されていました。そのため、看護師の「聖(ひじり)」というキャラクターが生まれたそうです。
しかし、今回の『果てしなきスカーレット』で批判が寄せられている理由には、「中世ヨーロッパ風の世界に日本の看護師が迷い込む異物感」や「渋谷のミュージカルシーンの唐突さと共感性羞恥心」などもあり、やはり細田監督のやりたいことが、前述した「戦争という大きな問題」と上手く融合していないと思ってしまいます。
ネットやSNSの批判を無視しているのかもしれない
そんな細田監督は、『竜とそばかすの姫』公開時(2021年)のファミ通.comの記事で「エゴサーチはまったくしないですね」と明言しています。その理由は「このぐらい誹謗中傷が広がっていると、マイナスなことばかりですから、やめておいた方がいいでしょう。エゴサーチで自分のメンタルを削っている場合ではありません。自分の心のHPをきちんと守ってクリエイティブに使った方がいいと思います」とのことでした。なるほど正論かもしれません。
その『竜とそばかすの姫』の企画のきっかけは、「生まれたときからインターネットのある世界で自分の娘がどう生きていくのか」と細田監督が考えたことでした。種々のインタビューで、細田監督は同作で「ネットを肯定的に描いている」とも語っています。
しかしながら、実際の本編では「ネット上での誹謗中傷」や「自らを正義だと信じている自警集団」など、SNSのネガティブな面のほうが目立っていることはまだしも、その誹謗中傷や自警集団の描写がさすがに極端すぎることや、それらへの「冷静で真っ当な批判」がほとんど見られないことが気になりました。
たとえば、「川で子供を救ったことと引き換えに命を落とした母親」に関するニュースへの、「他人の子供を助けて死ぬなんて、自分の子供に無責任だ」「人助けなんて、善人ぶるからこうなるんだ」というネットの意見は、「そういう暴言を吐く人はほとんどいないのでは?」と、誹謗中傷そのものへの「解像度の低さ」を感じてしまいます。こういった意見を劇中に出すなら、「失われた人命に、なんてひどいことを言うんだ!」という怒りのコメントが多数つく、という描写もリアリティーのために必要でしょう。
こうした点を見ると、細田監督は「ネットやSNSには誹謗中ばかりがあふれ返っていると思っている」「真っ当な批判というものは存在ごと無視しているのではないか」と怪しんでしまいます。
それだけでなく、細田監督のインタビューからは、「スタッフの意見を聞いて物語を調整した」というような記述はほとんど見かけません。どうしても「細田監督のエゴが働きすぎていないか」「ネットやSNSだけでなく周りの意見も聞いていないのではないか」「周りが“イエスマン”ばかりになっているのでは」などと、もちろん推測にすぎませんが、思ってしまうのです。
『果てしなきスカーレット』興行的不振は問題を見直すきっかけか
やはり最近の細田作品は、脚本というよりも企画段階で生じている物語上での不備を感じてしまいます。
ある意味で希望となるのは、今回の『果てしなきスカーレット』が、公開から3日間で興行収入2.1億円でスタートし、前作『竜のそばかすの姫』の8.9憶円との対比で23.6%という厳しい結果になったことです。
これまでは(『未来のミライ』を除いて)細田監督が単独で脚本を手がけるようになってからの方が、『サマーウォーズ』や『時をかける少女』より興行収入が良かったため、関係者が意見を言えなかった、細田監督自身も反省しなかった可能性もあります。
『果てしなきスカーレット』で興行的な面で「痛い目をみた」からこそ、今度こそ脚本もしくは企画段階から、細田監督はもちろん関係者も「問題を見直す」きっかけになると思うのです。また、細田監督が素晴らしい作品を送り出してくれることを、期待しています。
