
元読売ジャイアンツの柴田勲氏が11月27日、YouTube「名球会チャンネル」に出演。今年6月3日に亡くなった元チームメイト・長嶋茂雄さんから教わったことを語った。
■長嶋さんとの思い出を語る動画では読売ジャイアンツのV9時代を支えた柴田氏が、今年亡くなった長嶋さんの思い出話を展開。
柴田氏は長嶋さんの死について、「俺は巨人ファンだったから、長嶋さんと一緒に野球がやりたいと言って。ファンの子供が巨人軍に入れたという。長嶋さんと一緒に何十年も野球をやらせてもらって…。本当に残念」と惜しむ。
また、21日に東京ドームで行われたお別れ会には「野球界やほかの世界を通しても、あれだけの行事をできるというのは、やっぱり日本では長嶋茂雄しかいなかったんじゃないかなと思います。各界からいろんな人が集まってくれて、今、日本で誰かが亡くなったとしても、あれだけの人が集まるお別れ会はないです」とコメントした。
関連記事:徳光和夫、“長嶋茂雄賞”に合わせ「6月25日」の記念日化を要望 阪神ファンには苦い一日で…
■つねにプラス思考だったスタッフから長嶋さんとの会話のなかで、印象に残っている出来事を質問されると、「長嶋さんはつねに教えてくれるのは、前向きに生きろ、人間マイナス思考じゃダメだ、プラス思考で行きなさいっていうのを、もう肌で長嶋さんから教えてもらった」と語る。
続けて「なかなか人間って、逆境に立ったりすると、プラス思考にはなかなか考えられないですよ。長嶋さんは身体を壊して、リハビリをやってたときも、前向きに『治る』と。普通の人ならしょんぼりしちゃうところを『俺は治るんだ』って前向きにやっていた」と明かしていた。
関連記事:「良い車に乗って、良い家に住め」 中畑清氏を変えたジャイアンツ首脳陣の“アドバイス”
■2004年に脳梗塞で倒れる長嶋さんは1993年から2001年まで2回目となるジャイアンツの監督を務めたのち、2002年からは日本代表の監督に就任。2003年に札幌で行われたアジア選手権を勝ち抜き、アテネオリンピックの出場権を手にしていた。
ところがオリンピックイヤーの2004年に脳梗塞のため倒れてしまう。その後、後遺症が残る状態となったが、リハビリを続けて歩けるまでに回復。最後まで「スーパースター長嶋茂雄」であり続けた。
プロ野球の人気を不動のものとし、多くの野球ファンを魅了し続けた長嶋さん。その功績は永久に不滅だ。
関連記事:長嶋茂雄さんの歌声を遺した「32年前の曲」が再注目… 「今日は聞かないと」と偲ぶ人が続々
【今回の動画】柴田氏が長嶋茂雄さんの凄さを語る関連記事:高木豊氏、長嶋茂雄賞の創設タイミングに疑問 「なんで亡くなってから…」「残念でしょうがない」
■執筆者プロフィール佐藤俊治。Sirabeeには2015年11月から参画し、月40本程度プロ野球関連記事を執筆中。YouTubeで発信する野球評論家ウォッチャーでもある。野球は高校からメジャーまで年間50か所以上で現地観戦。プロ野球の贔屓チームはなく、どこのチームのファンでもない。「あの選手、あそこに行ったんだ」という目線で見守っている。
(文/Sirabee 編集部・佐藤 俊治)