最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
「彼女の身代金に加担したことになる」ジョージ・ハリスンが亡くなるまで愛した名器「ルーシー」誘拐事件…解決を手伝ったノーマン・ハリス衝撃の証言

「彼女の身代金に加担したことになる」ジョージ・ハリスンが亡くなるまで愛した名器「ルーシー」誘拐事件…解決を手伝ったノーマン・ハリス衝撃の証言

エリック・クラプトンから贈られた赤いレス・ポールを生涯愛したビートルズのジョージ・ハリスン。しかし、そのギターが何者かに盗まれる事件が起きた。解決の鍵を握ったのは、ビンテージ・ギター界の第一人者、ノーマン・ハリスだった。いったい何が起きたのか。

エリック・クラプトンから贈られた「赤のレス・ポール・スタンダード」が盗まれた

ビンテージ・ギターの第一人者として知られる、ノーマン・ハリスが書き下ろした自伝には、エリック・クラプトンがビートルズの『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』で弾いた、ギターにまつわるエピソードが登場する。

1973年のある朝。ノーマンは、楽器店『ユニバーシティーミュージック』を経営する友人であるデール・ロスマンから、「レス・ポールが盗難にあって代替品を探している重要な顧客が店に来ている」という電話を、自宅のアパートで受けた。

もう少し詳しく状況を聞こうとすると、「つべこべ言わずにここへ来い。しかも急いでだぞ!」と強引な口調で催促された。それに対してむっとしていると、電話の向こうでビートルズの曲名を持ち出して、デールがこう言った。

「ドント・レット・ミー・ダウン(僕を失望させないでくれよ)、ノーム。君に会わせようとしているのは、あのジョージ・ハリスンだぞ」

ノーマンは、期待と不安が入り混じった心境のまま、車を飛ばした。

だが、店に着いてみると、そこにはデールが一人いるだけだった。その瞬間、ノーマンは手の込んだいたずらに引っ掛かったのだと思った。

「ジョージ・ハリスン様はどこにいるんだ?」
「隣へピザを食べに行ってるよ」

その言葉とほぼ同時に、店の正面入り口が開いて、ジョージ・ハリスンとロードマネージャーのマル・エヴンスが入ってきた。

ビンテージ・ギターの鑑定に関しては、ひと目見てそれが本物か偽物か見分けがつくノーマンだったが、その時は目の前のジョージを凝視し続けて、「そっくりさんに違いない」と自分に言い聞かせたという。

本物のジョージ・ハリスンが、こんなところにいるわけないじゃないか。

ところが彼は、本物だった。目の前の現実が信じられないまま、ノーマンが詳しく話を聞いてみると、エリック・クラプトンから贈られた「赤のレス・ポール・スタンダード」が盗まれて、非常に困っているという事情が分かった。

ビートルズの『ホワイト・アルバム』のセッションで活躍したそのレス・ポールに、ジョージは「ルーシー」という女性の名を付けて愛用していた。そして、ジョージの代表曲となった『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』では、そのギターでクラプトンがソロを弾いてくれたことによって伝説にもなった。

「私は彼女の身代金を払うのを手伝ったことになる」

そもそも「ルーシー」は、クラプトンがニューヨークで購入したギターで、それをジョージにプレゼントしてくれたものだ。ビートルズの『レヴォリューション』のPVで見ることができる。

『The Beatles – Revolution』(The Beatlesより)

ギター泥棒は、すでにハリウッドの楽器店に「ルーシー」を売却し、それがたまたま仕事でカリフォルニアへ出てきたメキシコに住むミュージシャンによって購入されていた。

そこまで突き止めたジョージとマルは購入者と連絡を取り、大切なギターを買い戻させてほしいと打診した。すると、購入者からはジョージの手に大切なギターを戻すのはやぶさかではないが、できれば同等の品質の代替品が欲しいという返事があったという。

そこで1950年代後半のレス・ポール・スタンダードを1本、新たに手に入れるために、二人はデールの店を訪れたのである。

そしてデールは、ノーマンが50年代後半に製造されたサンバーストのレス・ポール・スタンダードを3本も持っていることを知っていた。

ノーマンは、ジョージとマルに協力することにし、自宅に保管しているギターの現物を見てもらうために、二人を自分の車に乗せて、慎ましいアパートへ戻ることにした。

アパートの地下駐車場に車を停めた私は、ジョージとマルを連れて建物の中庭を抜け、階段を上り始めた。階段の途中で何人かの住人が、私と一緒に歩いているジョージに気づき、ビックリして固まっているのが見えた。

部屋のドアを開けると、夫人のマーリーンがバスローブ姿のままで掃除していた。「ジョージ・ハリスンをお招きしたのだ」と告げても、本気にしてもらえなかったという。

ノーマンが所持していた1959年のギブソン・レス・ポール・フレイム・トップを見初めたジョージは、それこそは「ルーシー」との取引に相応しいと決めた。また、ゴージャスでネックの細い1960年のフレイム・トップとも恋に落ちて、自分用に購入したいという意向を伝えてきた。

ノーマンは2本のレスポールの希望売却価格として、それぞれ1,500ドルを提示した。それに対してジョージは、ノーマンが所持していた1956年のフェンダー・ストラトキャスターも気に入ったので、プラス750ドルで折り合うなら、それも買い取りたいと言ってきた。

そして交渉は無事に成立した。

当時にしても安過ぎる価格で売却してしまったことは認識していたが、私は自分がジョージ・ハリスンに楽器を売っているのだという事実をまだ信じられずにいた。私の内なるミュージシャン魂が、ぜひ彼に優れた楽器を所有し、そこから素晴らしい音楽を生み出してほしいと望んでいたのだ。

それからもいくつかの段階を経て、最終的に「ルーシー」はジョージの手元へ戻った。ノーマンは「大切なギターと再会して、ジョージは幸福に満たされただろう」と思った。

亡くなるまで“彼女”と共に過ごした彼は、ことある毎に「ルーシーは誘拐された」と主張した。それがもし本当なら、私は彼女の身代金を払うのを手伝ったことになる。

ちなみにジョージがレス・ポール・スタンダードに「ルーシー」と名付けたのは、ボディが赤くペイントされていたからで、赤毛の有名なコメディアン、女優のルシル・ボールにあやかったからだという。

それから40年後。ギブソンから「ルーシー」を甦らせたモデル「George Harrison/Eric Clapton 1957 Les Paul Standard "LUCY"」が発売になっている。製造は全世界で100本、価格は税抜きで194万1000円だった。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考引用:『ビンテージ・ギターをビジネスにした男 ノーマン・ハリス自伝』(リットーミュージック)

提供元

プロフィール画像

集英社オンライン

雑誌、漫画、書籍など数多くのエンタテインメントを生み出してきた集英社が、これまでに培った知的・人的アセットをフル活用して送るウェブニュースメディア。暮らしや心を豊かにする読みものや知的探求心に応えるアカデミックなコラムから、集英社の大ヒット作の舞台裏や最新ニュースなど、バラエティ豊かな記事を配信。

あなたにおすすめ