
香川真司、中村憲剛、小林悠、家長昭博、三笘薫...J1通算300試合出場の登里享平が感銘を受けた背中。プロの世界を明るく生き続けるコツとは
2009年から15年所属した川崎でも常に出場を続けられたわけではない。それでもその時々で、自分には、チームには何が必要かを考え、川崎が築いた黄金時代にピッチ内外で大きく貢献してきた。そんな登里享平が史上145人目として達成したJ1通算300試合出場。左膝に怪我を抱えながら歩き続ける彼の挑戦を改めて追ってみた。
(第3回/全3回)
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300試合出場を積み重ねてきた登里享平にとって、忘れられないゲームがある。
「やっぱり1番嬉しかったのは川崎での1年目のプロデビュー戦ですね。2009年の6月でしたよね。そうそう、大分戦(86分に山岸智との交代で途中出場)。大分にはキヨくん(清武弘嗣)らもいたはずです。やっぱりあの時の気持ちって、忘れないでおこうって常に考えていますね。僕は試合に出られるのが当たり前な選手ではないので、ピッチに立てる喜びは常に大事にしたいんです。
(プロ初出場はリーグで2度目となる)ベンチ入りで、試合展開的にも残り数分での出場でしたけど、起用してもらえた。そこで一歩目を踏み出せた感覚がありましたし、少しの時間でしたが、自信になりました」
一方で悔しき経験もあった。
「悔しい試合って言ったら、ベタに負けた試合が浮かびますが、川崎で優勝を逃してきたゲームは特に絶望感が蘇りますね。
中でも一番苦しかったのは2017年の、それこそセレッソとのルヴァンカップ決勝。(川崎がシルバーコレクターと揶揄されていた当時)リーグでは鹿島が首位を走っていて苦しい状況で、ルヴァンカップで初タイトルのチャンスが巡ってきた。当時、セレッソに対して苦手意識もなく、でも慢心していたというわけでもなく、チームとして良いモチベーションで試合に臨めたんです。
でも結果は0-2。リーグ戦も2位でしたが、首位の鹿島と差があり、またシルバーコレクターって言われるような状況だった。だからこそ、ルヴァンカップに敗れた時はチームにはなんとも言えない絶望感が広がっていました。僕は決勝戦には出られませんでしたが、個人的にも『俺、なんも力になってないやん』って無力さに苛まれました。だからチームとしても自分としてもかなりダメージを受けていたんです。
これは今だからこそ笑い話なんですが、決勝から数日後にケンゴさん(中村憲剛)、コバくん(小林悠)と一緒にいる時に、これから頑張ろうと話していたら、あるスタッフの人が『でも鹿島は強いよ、残りの試合負けないよ』と言ってきて、こっちは無理にでも切り替えようとしているのに『水を差すな!!』って。今でも笑って振り返れるエピソードですね。
でも当時は本当に余裕がないギリギリな状況。ただメンタルはそんな感じだったんですが、何か見えない力に背中を押してもらっている感覚がありました。それで勝ち続けていたら、いけるかもっていう雰囲気が生まれた。でも2位で迎えた最終節はもう他力本願。とりあえずやろうと挑んだ先の初めてのJ1制覇でした」
最終節で大宮に5-0で勝利した川崎は、0-0で引き分けた鹿島を最後の最後、得失点差で追い抜き、戴冠を果たす。奇跡の逆転優勝として今でも語り草になっているが、登里はこの経験をC大阪に還元することもできるだろう。
「リバウンドメンタリティじゃないですが、優勝できれば、これをやっておけば優勝できるんじゃないかっていうものが少し見えるようになってくる。結局、優勝をできないままだと何が足りないか分からないままですからね。
負けて得るモノはありますが、難しい部分もある。川崎時代、セレッソに敗れたルヴァンカップ決勝では、僕らは生半可な気持ちで戦っていなかったですが、プロの世界は結果が全て。悔しさは次へのパワーになり、その蓄積で川崎もリーグ初優勝に辿り着きましたが、やっぱり一度、リーグ優勝を経験すると、そのあとのタイトルにつながると実感しました。
だからリーグ優勝をクラブとして一度、経験することが何より大事だと思いますが、そのために大切なのはやっぱり積み重ねだと感じます。ただ、選手も難しいですよね。1年を通じてモチベーションの沈みは必ずありますし、自分もそう。やっぱり僕らは人間で、機械がやっているわけじゃないから、絶対に調子の悪い時期は来る。
そういう時に上手くごまかすと言いますか、大切なのは、自分の基準を高く設定できるかだと思います。“これでいい”と満足するのか、各々が突き抜けていきたいと考え続けるのか。各々が高い意識を持てば周囲も引き立てられ相乗効果が生まれていく。そういう環境になれるように僕は周囲に働きかけられる存在にもなっていきたいです」
登里は川崎、C大阪で指標になるような選手の背中も見てきた。
「川崎ではケンゴさん(中村憲剛)、コバくん(小林悠)、アキくん(家長昭博)らは何も言わなくても、ずっとやり続けるまさにお手本。また違うなと思ったのは後に海外に行った選手たち。(三笘)薫にしても、(旗手)怜央にしても、(田中)碧にしても、守田(英正)にしても、考え方が周囲と異なっていましたね。
彼らは練習から常に意識が高いから、こっちもちゃんとやらなあかんってなる(笑)。引き立ててくれる存在でしたね。だから一緒にプレーできて楽しかったですよ。
それこそ(2017年、18年に)リーグ優勝をチームとしても経験し、なんて言うんですかね、ある程度やり方が整備されてきたなかで、彼らはそれを壊してくれたというか、彼らがあれだけやるんだから、自分たちもやらないといけないという気持ちにさせてくれました。小さくまとまるんじゃなくてもっと上を目指そうと。そこに気付かせてもらえました。彼らはまったく満足せえへんところが凄かったですね。練習からひとつのゲーム、シュートに対してもこだわりが高かったですから。
その面でセレッソに来てびっくりしたのは、(香川)真司くんの姿。ひとつのミニゲームでも勝負へのこだわりが周囲とまったく違って、やっぱりこれだけやるからこそ、海外でもあれだけ活躍できたんだなって気付かされました。ゲームに対しての執着は、僕が知っているなかでは一番だと思います。常にギラギラしていますから。負けた時の悔しがり方と、勝った時の喜びようは、勝負の世界で生き、決して譲れないモノを持っているんだなと尊敬しています。
そういった周囲の姿を見て素通りするのか、貴重だと学ぼうとするのか、そこの差が大事だと思うんです。今のはセレッソは、選手バランスで当時の川崎と似ていると感じるんです。真司くんやジンさん(キム・ジンヒョン)ら経験豊富なベテランがいて、その背中から学べる伸び盛りの若手たちがいる。だから個人的にはもっと真司くんらに聞きに行っても良いと思うんです。僕は川崎の時にはケンゴさんが話好きだったということもありますが(笑)、よく自分から声を掛け、いろいろなことを教えてもらっていました。
その点では真司くんもサッカーの話をするのは好きですし、そういう存在は本当にありがたい。若い選手がそれを吸収することでクラブって大きくなっていくと思います。若い選手や中堅が今後を担うなかで、経験の継承、どう成長していくかは大事です。自分の考えだけでプレーするのではなく、要求されたことにはどんな意図があるのかを考えるだけで発見がありますし、サッカー観が異なる人と話すことで世界が広がる。そのなかで、自分にも合っているもの、合っていないものを選択していけば良いんですよ。そうやってみんなで成長して、チームを大きくしていく。
最近は早い段階で海外挑戦をする選手も増えているので、難しい部分はありますよ。でもセレッソには今で言えばヒナ(喜田陽)らアカデミー出身を含めた優秀な若手が多い。彼らが自覚を強め、優勝のキーマンになっていってくれれば、誰もが幸せですよね」
「大事にしている人生訓? パッとは出てこないですが...サッカーの話とはちゃうけど、プライベートでは『先輩には気を使え、後輩には金を使え』っていう言葉はよく使っていますね(笑)。僕の生き方はそれかもしれないです。
それと、僕は変わることは怖くないんです。変化に対応したらいいだけの話なので。状況が悪くなった時に、自分が変われば、また良い方向に持っていける。でも良い方向に持っていったところで、自分が逆に変わってしまうと状況もまた変わってしまう。やっぱりサッカー界は、監督交代や世代交代、戦術のトレンドなど、変化が日常ですからね。だから自分は頑固は頑固やけど、別にここだけは絶対に変えられないっていう部分はないんだと思います。そうやって10何年やってきたのかなと、改めて今思いましたね。
負けた試合のあとも、日付が変われば、しっかり寝たら、切り替えようと決めているんです。逆に変に成功体験を積み重ねすぎて、それしか考えられなくなったら邪魔になってしまう。年齢が上がってきて、若い子の意見で気付かされたりもするじゃないですか。会社でも新しい血ではないですが、若い子のアイデアが貴重だったりしますよね。世のトレンドを取り入れたりだとか。
川崎時代にはコバくん(小林悠)をずっと機械音痴だとかポンコツと言っていじって、コバくんの手続きなどは全部僕がやってあげていましたが、今は自分が『このスタンプってどうやるの? スマホのこの機能ってどう使うの?』って聞く立場になっていますから(笑)。だから歳を取るっていうのは、そういうことなんですよ。
でも、結局そこに辿り着くのかなと。サッカーも変化が激しいなかで、今までの自分のやり方が一番だと思い続けていたら置いていかれてしまう。“自分はできている”と思い込み、人の意見やアイデアを聞かないと、なかなか生きづらい時代にもなっていると思うんです。だからまず聞いてみれば良いんです。その時は特段響かなくても、それが大事だと後々気付くこともあるわけですから。だから先輩も後輩も頻繁にコミュニケーションを取って、話を聞いて変化する。それが僕の生き方ですかね」
周囲を巻き込み、チームとして盛り上げ、ピッチ上での結果にもこだわる。登里の生き方には多くのヒントが隠れている。そこから学べることは実に多い。
今年3月にはルヴァンカップの讃岐戦で高校時代、多くの試合をこなした「Pikaraスタジアム」で10数年ぶりにプレーする貴重な経験も得た。なんだか運命めいたシーズンを経て、登里はここからの完全復活へ意気込んでいるに違いない。またピッチ内外で輝くその姿を多くの人も見たいはずだ。
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
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