仕事が覚えられないストレスで体調不良に
その後、36歳のときに出版社を退社。給付金をもらいながらヘルパー1級(2013年に廃止。資格は現在も有効)の資格が取れる職業訓練を受けた。
「出版社では卒業アルバムや学校案内のパンフレットを作っていました。ずっとコンピューターに向き合っていたので、『困っている人を直接助けるような仕事がしたい』と思ってしまって。子どもたちもちっちゃかったのにね」
最初に勤めたのは、路上生活者の一時保護施設だ。そのころ増えていた路上生活者を施設に受け入れて支援する相談業務に就いたのだが、仕事はかなり過酷だった。
施設内は飲酒禁止だが、外出先で飲んで帰って来る人も多い。酔っ払った利用者と面談中、電話機でバーンと殴られたことも。栄養状態の悪い人が多く、結核患者の比率も高い。働き始めて4年目に精巣が腫れてしまい、手術で摘出したら結核菌が検出された。
結局、青木さんは一時保護施設で9年間働いた後、障害者施設に異動になった。だが、新しい仕事が覚えられない。
「あれ、なんかおかしいな。なんでこんなに頭に入らないんだろう?」
その3年後に倒れて判明したのだが、青木さんの病気は脳を守る脳脊髄液という水が異常に多くなり脳を圧迫することで起きた。おそらく、そのころから記憶障害が起きていたが、青木さんは病気のせいだとは思いもしなかったという。
仕事を覚えられないストレスで体調を崩し、頭痛や腹痛が続いた。
通勤途中にひどくお腹を下して便失禁してしまったときのこと。
「一度家に帰ります」と連絡をすると、こう返されて絶句した。
「オムツしてくればいいじゃない。紙オムツなんて、うちの施設にいくらでもあるんだから」
青木さんは悔しくて、涙が止まらなかったそうだ。
「でも、オムツして行ったんです。施設の紙オムツを持ち帰らされて、それして仕事に行きましたよ」
「自分なんて必要ない」と自殺未遂
消化器内科でストレスが原因の過敏性腸症候群ではないかと言われ、精神科にも通ったが、体調は良くならない。
「そのころ母が亡くなったんですね。さらにストレスがかかって気持ちがひどく落ち込んで……。この世界に自分なんて必要ないと思って自殺未遂をしました。オーバードーズですね。手元にあった精神科の薬を全部。
僕が朝起きてこないので、家内が声かけしたら、ふらふらで呂律が回らない状態だった。で、救急車を呼んで、精神科に措置入院。鍵のかかる部屋でトイレもオープンな状態で、監視カメラが付いているような24時間監視状態の病室に1、2か月いたのかな。よく覚えてないけど」
一般病棟に移り半年後に退院したが、再びオーバードーズをしてしまう。2度目のときは入院せず胃洗浄をして自宅に戻った。
働けない日々が長く続いたが、生活費はどうしていたのだろうか。
「貯金を切り崩しての生活です。家内の両親と一緒に住んでいる、いわゆるマスオさん状態だったので、家賃の心配がなくて、光熱費とかも持ってくださって。ほんとにね、そういう状態じゃなかったら、どうなっていたのかな……」
精神科の治療を続けて少し落ち着きを取り戻すと、「働かなきゃ」と思い、高齢者施設に就職した。だが、そこでも仕事の手順がなかなか覚えられない。利用者の顔と名前を一致させるのも一苦労だった。

