いま「健やかさ」について改めて考える
塚原 森さんは、その時々の出会いから生まれたご自身の感情としっかり対話して、自分が次に何をやっていくべきなのかを考えておられる印象も持ちました。それって、僕から見ると、工芸的にモノが形作られていくプロセスとすごく似ているなと勝手に思いました。例えば陶芸では、土の声を聞かずに作り手の思いのままに形をつくっても、窯で焼いてみたら割れて出てきてしまったりする。だから工芸では、素材の声も聞きながら形作っていく作業が必要で、それが工芸的な造形プロセスかと思っています。
森さんの場合も、モデルとしてのお仕事で無理を続けたりして、不健康な状態になると続けられなくなると想像します。でも今日お話ししていて、とても明るくてエネルギーに溢れる健康的な印象を受けたので、勝手ながらそんなことを思いました。そして、もしそうならば、それをどういう形で実現してこられたのかには興味があります
森 なるほど。確かに「健康的」であることは、美しさの中でも大事なキーワードだと思いますし、衣食住すべてが健康的で自然な感じだといいなと思いつつ過ごしています。ただ私自身は、たぶん結構繊細だと思います。いつもハッピーに見えるかもしれませんけど(笑)、落ち込むときはすごく落ち込むし、何かに違和感を覚えて仕方ないときもある。訳もなく不安になるときもあるし……。
そういう心の小さな声みたいなものが結構出てくる方で、でもだからこそ、喜びも大きいタイプだと思うのですよね。そこで逃げずに向き合うことが、むしろ健康的なのかなとも思います。だから悩むときはとことん悩むし、振り返るとそれに大きな意味があったと思えることもあります。もちろんそうでないときもあるし、たまに逃げ出したくもなるのですが、ありがたいことに家族には本当に恵まれているし、話せる人がいる。だから、友達や家族はすごく大事ですね。
いまは、地域をめぐって職人さんたちと過ごす時間も私にとって大切です。目の前にある、自分の好きな世界やこだわる部分と、雑音なしに向き合うひとときですね。また、職人さんの生活や生き方にふれる中で、なぜか安心させてもらえる瞬間というのもあって。だから、自分がモデルとして健康的な美を皆さんに伝えられたら嬉しいのと同じように、工芸と関わる仕事でも、この世界がもつ健やかさを伝えられたらとも思います。
塚原 そのお話を受けて言えば、工芸の価値が改めて広く知られるうえで、個々の優れた職人さんが脚光を浴びるのはもちろん良いことだと思います。僕の新刊でも「これからの日本の工芸をつくる職人たち」と題して何人かをご紹介していますし、ここでふれられなかった方々でも素晴らしい職人さんたちが何人もいます。
ただ、そうした個々の活動だけでなく、彼らの背景にある風土や工芸的な在り方そのものが注目されることも大切かと思っています。そうしたものづくりをしている人たち、特に今どう表現すればいいかと悩んでいる人たちを力付ける点でも、そうなればすごく嬉しいと僕は思っています。例えばそれは森さんたちの「色寂」という考え方かもしれないですし、僕だったら「工藝」と言いますし、そうした概念そのものが世の中にどんと出てくれて、皆さん注目されるようになったらうれしいですよね。
森 塚原さんもそうだと思いますが、同世代の人たちでこうした文化に誇りを持ち、それがこれからを生きる上での道しるべになると思っている仲間たちからは、私もすごく刺激を受けています。いずれも風土と密接につながっていて、そこに好奇心があって、目には見えない土着の精神みたいなものが制作を通じて伝わるとき、私はそれを「工芸だな」って思うのです。
工芸がくれる、これからの暮らしのヒント
――ちなみに、今年は柳宗悦らが掲げた「民藝」という言葉が着想されてから百周年でもあります。
森 私は最近、山形で伝統的なものづくりをなさっている方々も訪ねていて、これも民藝とつながりがあります。大好きなフランスの建築家・デザイナー、シャルロット・ペリアンが、柳宗悦のご長男の柳宗理氏と東北の民藝をリサーチした際につくった家具がとても素敵なのですよね。
これを再現した方にお会いしたのが、最初に山形を訪れたきっかけでした。ちなみに100年前といえば、アイルランド出身の建築家・デザイナーのアイリーン・グレイが手がけた漆塗りのアームチェアが1920年代の制作で、これはのちにオークションのインテリア史上当時最高額(編注:1950万ドル=当時で約28億円)で落札されたことでも知られます。彼女たちのような西洋の作り手が、日本の風土とそこで培われた技や精神性をどう表現にアウトプットしてきたのかにも興味があります。自分もダブルルーツなので、東西のミートポイントから生まれる表現もヒントになっています。
そうしたことを考えても、暮らしの中に取り入れる生活美術品というものは、愛でるだけでなく、使うことで精神性を体現するところが役割かなと思っていて。きっとこれからの百年、次の世代の子供たちにとっても大切なものになると思います。私も遅ればせながらいま、工芸やその職人さんを通じてそこに触れさせてもらう機会をいただいています。
塚原 おっしゃる通りで、大切なモノを通じて心が育まれる世界観というのは、すごく共感しております。良いモノやお気に入りになるモノを買うと「なぜ自分はこれが好きなのだろう」「何で大切にしたいのだろう」と、折々に考えます。それってどこか、自分と向き合う時間のような気もしていて。ちなみに森さんの日本の伝統工芸との出会いは、どんなものだったのですか?
森 私は輪島塗りですね。あるときヨーロッパで、ずっと欲しかった大きな花瓶を買ったのですが、それがスーツケースの中で割れてしまって、とてつもなく寂しい気持ちになったのです。たぶんしまい方が雑だったせいで、そのことで自分嫌悪にもなって。当時はコロナ前で出張も多く、特に素敵な現場に立ち会わせていただく機会も多かった一方で、忙しいこともあって自分の心に余裕がなく、インスタントな時の流れを過ごしていたと思います。だから、そのとき割れた花瓶が自分の心の様子を描いているようにも思えて、なおさら悲しくなりました。
でもそのときご一緒していたスタイリストさんが「星ちゃん、金継ぎすれば味が出るわよ」と言ってくれて。これがきっかけで、漆作家の伊良原満美さんに金継ぎを教えてもらうようになりました。漆って、葉も実も幹も樹液も、全てを人の暮らしに活かせるのですよね。染めものに使ったり、お酒に漬けてみたり、接着剤としての役割もあり、器に塗り直せば再生する。現代社会ではSDGsやサステナブルということが各所で言われていますが、ずっと昔に植物のこんな素敵な生かし方を考えついた人たちがいたのか! と驚きました。
同時に、昔の人々が歳月を重ねて作り出し、継承してきた営みこそが、日本の強みでもあると感じました。その後にコロナのパンデミックがあって、多くの人が暮らしを見つめ直す時間がありましたよね。私にとっても、それは自分をいったん再チューニングする時期になりました。tefutefuを立ち上げるタイミングで輪島を訪ね、能登の総持寺で座禅を体験するなどしました。能登は多湿なので発酵文化も豊かで、里山や里海、いわゆる日本のパーマカルチャーも根強く残っている。
さらに前述した同世代の桐本さんの漆工房にお邪魔したのがきっかけで、ここにはこれからの世界のヒントがあると思えました。私たちは島国だからか、とかく外側に目を向けがちだけど、内側にこんなにも最先端の世界があるのか、と感じたのです。最先端だと思うのは私だけかもしれないけれど、自分の中では、ファッションがこれから進もうとしているところを、地方の職人さんの文化がすでに体現していると思えたのです。「ああ、これが未来だな」と思えた場所でした。後の能登の災害には本当に心が痛みますが、その思いは今も変わっていないんです。
塚原 昔から続く工芸が実は現代からみて最先端というのは、近年になって実際に各所でよく言われていることで、すごいいいなと思っています。僕も伝統工芸がゆっくり走り続けてきた結果、いまでは「周回遅れのトップランナー」になっている感じがしていて。今回初めて自分で本を書いたのは、そのことを皆さんにぜひ知っていただきたいからでもあるので、森さんのいまのお話は僕にとっても嬉しいです。
森 今日は色々とお話しできて楽しかったです。私たちは互いに共通点もあると思いますが、互いのバックグラウンドはもちろん違うし、私にできることと塚原さんができることもまた異なるのだろうと思います。でもだからこそ、この出会いをきっかけに一緒に何かできたらという気持ちでいますし、その時を楽しみにしていますね。
塚原 こちらこそ、ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
構成/内田伸一

