「ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録」
古川英治/1760円・KADOKAWA
今もロシアによる攻撃が続くウクライナ。この戦争に終わりはあるのか。新聞社を退社し、ウクライナ人の妻とともに首都キーウに移り住んだジャーナリストの古川英治氏が、懸命に生きるウクライナ市民の現状を激白する!
名越 ウクライナ戦争の本は日本で100冊以上出ていますが、古川さんの本は最も面白く、迫真に満ちていました。首都キーウで取材されており、いつから現地に住まれているのですか。
古川 21年に新聞社を退社してフリーランスになり、妻と一緒に日本から移り住みました。
名越 その翌年の2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻した時もキーウにいらしたそうですが、本書にはその後1年間のウクライナの現状が詳細に書かれています。戦争初期の動向のほか、住民の考え方や行動が非常にリアルに感じ取れました。執筆された動機を教えていただけますか。
古川 ロシアの侵攻が始まった時、僕はすぐに征服されてしまうだろうと覚悟を決めていました。ところが、国を守ろうと国民が団結。ここまで戦えるのはどうしてだろうと思い、それからいろいろな人に取材しました。当時は日本の記者も現地にあまりいなかったので、ウクライナの実情を日本に伝えたいという思いもありました。
名越 ロシアは1週間で陥落できると思っていたようですが、ウクライナ人の抵抗を事前に読めなかった。侵攻直後で印象に残っているエピソードは?
古川 侵攻前の状況では、キーウは攻撃されないと政府関係者を含めて多くが思い込んでいました。ですから、空爆を受けてパニックになると思っていましたけど、翌日もみんな淡々とスーパーに並んで「1人1個」と言われたパンを買ったりしている。もちろん、家族で逃げた人たちもたくさんいましたよ。
名越 古川さんは逃げようとはしなかったのですか。
古川 僕は侵略前から妻に退避を働きかけていました。すると「あなたムカつくのよ。ウクライナ人をまったく信じていない。私たちが負けると決めつけているじゃない」と、責められました。そして「各人がやれることやって戦っている。あなたは記者なんだから取材して書くべきよ」と言われました。
名越 当時、ゼレンスキー大統領がウクライナを出て、ポーランドに亡命政権を作るとか、リヴィウに首都を移すという噂もありましたが、大統領は侵攻の2日後、「私はここに残る」とSNSで発信しました。
古川 その言葉で市民の団結が高まりました。あの時どうして残る決断をしたのか大統領に聞きたかったのですが、のちの記者会見で「2人の子供に僕のことを誇ってほしかった」と答えています。大統領という立場より、ひとりの父親としての決断だったところもあると思いました。
名越 もし逃げていたら、すぐに陥落していたかもしれませんね。
古川 そうですね。ゼレンスキー大統領のいちばんの功績は、キーウにとどまったことかもしれません。
ゲスト:古川英治(ふるかわ・えいじ)ジャーナリスト。1967年茨城県生まれ。93年、日本経済新聞社に入社。商品部、経済部、モスクワ特派員、国際部編集委員などを経て、21年に同社を退社、フリーランスに。同年12月からキーウ在住。オックスフォード大学大学院ロシア・東欧研究科修了。著書に「破壊戦 新冷戦時代の秘密工作」がある。
聞き手:名越健郎(なごし・けんろう)拓殖大学特任教授。1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社。モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長などを経て退職。拓殖大学海外事情研究所教授を経て現職。ロシアに精通し、ロシア政治ウオッチャーとして活躍する。著書に「秘密資金の戦後政党史」(新潮選書)、「独裁者プーチン」(文春新書)など。

