東京・麹町のオフィス街で、朝7時半になると湯気と出汁の香りが立ちのぼる店がある。立ち食いそば「築武士 麹町店」だ。カウンターの中でテキパキと手を動かすのは、まだ二十代の若女将・長田楓花さん。麹町の立ち食いそば店「築武士」が2023年の開業以来、多くの常連に愛されている背景には、飲食未経験から店を支える彼女の存在があった。
オフィス街で奮闘する立ち食いそば店の若女将
グルメ系のYouTubeでその姿がたびたび紹介され、いまや「動画を見て来ました」という客も少なくない。
店の一番のこだわりは「お出汁」と築地から届く「海鮮」だという。出汁は京都風、海鮮系の食材は築地から届くもの。やはりこの海鮮を使ったメニューを目当てに来る人も多いという。立ち食いそばでありながら、しっかりと“築地らしさ”を感じさせるラインナップになっている。
そんな店を朝から回している長田さんは、毎朝5時半には出勤している。店に着くとまず火を入れ、出汁をとり始める。同時進行で店頭に並べる弁当を仕込み、開店の7時半までに一通りの準備を終わらせる。その後もおにぎりを握り、天ぷらを準備し、さらにまた弁当を作る。午前中のうちにできることは、できる限り前倒しで片づけておく。
「スピードがないと、全部お昼に押しちゃうんです」
そう話すように、午前中の段取りが昼のピークを乗り切るカギになる。弁当は用意した100食ほどがほとんど完売する。麹町店だけでまかないきれない分は、系列店である東向島の弁当専門店で作ったものを運んでもらっている。テイクアウトも含めると、持ち帰りだけで120食以上が売れる。
“ランチ難民”が発生する麹町において、2023年3月にオープンしたこの店は、まさにサラリーマンの生活を支えている存在といえる。
意外なのは、長田さんがもともと飲食の世界にいたわけではないことだ。前職は事務職。高校卒業後、一般企業に就職し、デスクワークをしていた。
転機は、前の仕事を辞めたタイミングでやってきた。子どものころから付き合いのあった同店の社長から声をかけられたという。「就職活動するのも面倒だし、行ってみようかな」と軽い気持ちで飛び込み、いまや天職ともいえるほど活躍をしている。
この体力仕事を毎日続けられる理由は……
当然、すべて一から覚えるところからのスタートだった。
「天ぷらなどなにもかもやったことがなかったので、全部大変でした。意外と力仕事も多くて、この2年半くらいですごく体力もつきましたね」と振り返る。
一通りの仕事を自分ひとりで回せるようになるまで、およそ1年。最初の半年ほどは社長と一緒に仕事を覚えたが、人員の入れ替わりが続いたため、入店からおよそ半年で夜営業から“朝営業の担当”となり、そこからは一人で店を任される存在になった。
朝5時半に出勤し、開店の7時半までの準備を一人でこなす。火を入れ、出汁をとり、お弁当を仕込み、店を開け、その後も朝のお客さんをさばきつつ、午前10時頃にアルバイトの人が来るまで、約4~5時間は店内で一人。
12時が近づくと店は混み始め、12時台にはピークを迎える。ひっきりなしに人が出入りし、そばも弁当もどんどん売れていく。そのまま長田さんは、15時頃まで立ちっぱなしの勤務が続く。
月曜から金曜まで、平日はほぼ毎日同じ生活リズムだ。体調管理について聞くと「気合いです!」と一言。体感的にはこの生活に慣れは感じている一方で、金曜日の夜になると熱を出してしまうこともあるという。自分でも気づかないうちに、体力はギリギリまで削られている。
それでも続けられている理由を尋ねると、「前の職場よりも楽しい」と返ってきた。
事務職時代は、会う人が基本的に社内の人に限られていた。いまは、サラリーマンから現場仕事の人まで、さまざまな職種・年齢の客がカウンターの向こうに立つ。「いろんな人と話せるのが楽しい」と長田さんは口にする。
常連も多い。毎日来る顔なじみも数多くいて、昼と夜の両方に現れる人もいる。よく話す客もいる一方で、ほとんど言葉を交わさず淡々と通い続ける人もいる。言葉の有無にかかわらず、「今日も来てくれた」という事実が、長田さんのモチベーションにつながっている。

