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6男7女・15人大家族の母、漆山佳月が明かす子育ての転機「長男が全部真っ黒の絵を描いて…」

6男7女・15人大家族の母、漆山佳月が明かす子育ての転機「長男が全部真っ黒の絵を描いて…」

テレビの密着取材でも知られている15人家族の漆山家。6男7女、計13人の子どもたちを育てる母、佳月さんはこれまでに、いくつもの困難を乗り越えてきたという。上京、結婚、出産、経済的困窮や病との闘い。波瀾万丈な生い立ちに迫る。(前後編の前編) 

大家族の母・佳月さんの生い立ち 

6男7女、総勢15人の大家族を支える母・漆山佳月さん。2016年からフジテレビの特番で9年間にわたり密着取材を受け、2024年にFODプレミアムで放送された『密着!15人大家族うるしやま家』では、大きな話題を呼んだ。

13人の子どもを育てながら、笑顔を絶やさない姿は多くの人に元気を与えており、家族の日常を切り取ったYouTubeチャンネル「漆ちゃんfamily」は登録者数50万人超え。その生き方と家族愛に多くの世代から共感が広がっている。

初めての出産から27年。いまや13人の子どもを育て上げるベテラン母だが、若き頃は苦労と困難の連続だった――。当時を振り返り、今の心境を語った(以下、「」は漆山佳月さん)

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子どもが小さい頃は、ほとんど両親の手を借りられない中で、夫の亨さんと二人三脚で子育てをしてきた佳月さん。18歳の時、美容師を目指し鹿児島から上京してきた。

「美容師になりたかったので、地元の鹿児島を出て東京に行こうと上京を決めました。しかし、その年は阪神淡路大震災の年だったんです。関西方面に就職が決まっていたのに職場がなくなってしまった友人なども多かったです。

地元から出るのを親から心配されて泣く泣くあきらめる人もいたので、自分もすごく悩みました。でも、両親は若い時に東京で働いていた経験もあったので、『同じ技術を学ぶなら地元で学ぶよりも東京に出た方がいい』と応援してくれました」

上京を決意した佳月さんは、都内の美容グループへ入社する。3畳1間の寮で共同生活を経験したのち、美容専門学校に通いながら美容院で働く道を選んだ。

「職場と学校を往復する日々だったのですが、新しい配属先の店舗で今の夫(亨さん)に出会いました」

結婚が決まりご主人の山形の実家へ引っ越すことになった彼女。引越し先でも美容師を続けたいと思い、働きながら主婦業をするという生活になった。

「夫の母はどちらかというと『妻は家のことを…』という考え方だったので、両立するのは大変でした。朝4時に起きて家族全員の朝ごはんやお弁当を作ったり、働きながら家事炊事をこなす生活は、近くに頼れる友達や両親がいなく精神的に本当にキツかったです」

義両親との同居生活は想像以上にキツかったと振り返る。その結果、また関東に戻ることを決意。ふたりで家を探そうと、店の定休日を使って家探しを始めた。そうして、1か月ほど経った頃に2tレンタカーのトラックに荷物を詰め込んで山形を飛び出したそうだ。しかし、そんな折ご主人から意外な言葉が…。

「旦那が美容師をやめたいって言い出したんです。『美容師はもういい。接客もしたくないし、もっと稼げる仕事があるから』と…。なので美容師としては戻らず、関東に戻ってから、夫はトラックの運転手をやりました。でも全く稼げなかったんです」

働き詰めの毎日、寂しかった長男が描いた絵

新天地での方向転換をした亨さん。しかし、1年ほど働いていた頃に、佳月さんが働いてた会社の社長から声をかけられ、ふたたび美容師として復帰する。

一方、佳月さんはスタイリストとして毎日を忙しく過ごしていた。そんな中、20歳を迎えた頃に、長男(葵くん)を授かり初めての出産を経験する。

「10か月でスタイリストデビューをし、55人いる同期のなかでも一番早かったです。埼玉の美容室に入社した時は着付けをできる人もお店では私だけでした。朝から晩まで働くような状況で、過酷な生活もあってどんどん痩せていきました。そんな時に長男を妊娠し、仕事も休めなかったので、ギリギリまで働いて、産後もすぐに働き、10月生まれの長男をおんぶしながら成人式の着付けをしました」

働きながらの初産。それから、長女次女と子どもが生まれるが、仕事は変わらず忙しい。しかし両親が遠方なこともあり助けを借りることはせず、二人で働きづめの毎日だったという。

「休むこともできないし、かといって頼れる人もいない。葵(長男)の時は保育料が9万円でしたが、3人生まれて保育料が22万円になりました。土日も預かってもらえる託児所となると、24時間OKのところしかなくて。3人目が生まれてから、公立の保育園へ転園しましたが、時間にお迎えに行けず、ファミリーサポートのお迎えの方を頼んでいました。

保育料でお金がどんどん出ていくので、深夜に工場で番重(運搬容器)にパンを詰める仕分けアルバイトや内職もやっていました。夜21時に出て朝帰ってくる。ほぼ寝ずにまた美容院へ行って…そんな毎日でした」

当時は雇われていたこともあり、保育園へお迎えに行くことも簡単ではなかった。夫婦で独立し、自分たちで経営した方が自分たちの考えで動けて、子育てしやすいと思い、独立に向けて動き出すことに。しかし、これまでの生活スタイルを変えることはなかなか難しかった。

「お店は火曜日と第3月曜日しか休めなかったので、時間を捻出できませんでした。20時まで受付ということもあって、夜も遅くまで働いていました。独立や、一軒家を建てることを優先して複数の不動産をまわったり、銀行に行ったりしていたので休みの日も子どもを学童に預けて開業準備に必死でした」

生活のため過酷に働きつづける日々。家族の時間を作れず、毎日に追われていた佳月さんは「その時に忘れられないことがあった」と語る。

「(長男の)葵が小学生のとき、『葵君が滑り台の上でいつも泣いている』って先生に言われたんです。そして、もともと葵は絵を描くことが好きだったんですが、学校で描く絵はいつのまにか全部真っ黒になっていました。先生から『黒い部分をお友達が消してくれても、またその上からぐちゃぐちゃに殴り描きしていましたよ』って。

その時、今のままじゃ絶対にいけないって思ったんです。私は日々の生活や忙しさに気を取られて、大事なことが見えてなかった。私、何のために働いているんだろう…って。それからは、仕事が休みで動く日も不動産や建設会社にも子どもを連れて行き、仕事をしていても子どもと一緒に過ごす時間を最優先にしました」

猛進するあまり子どもたちの変化に気づけていなかったと後悔し、自分にとって大事なものに向き合えたと当時を振り返る。「気づかせてくれた葵には本当に感謝しかないです」と明かした。

学校が休みの土日祝日も仕事をしていた佳月さんと亨さん。しかし、自分たちの職場で一緒に過ごす、そんなスタイルが求めていたものだった。仕事をしながらの育児は大変なことが多いが、それでも「幸せな空間です」と話す。

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