技術的問題はクリアされつつあり、残りは倫理的問題
技術的にはもう自動運転で問題はないというところまで来ている。あとは倫理的な問題だろう。
筆者は、運転というのは責任問題だと思っている。運転席に座っている限りは、事故を起こした時に当事者として責任を取らなければならない。

では自動運転の時はどうなのだろうか?
たとえば、自動運転のテスラに家族が轢かれて死んだら、誰に責任を追及すればいいのだろうか? イーロン・マスクが謝ってくれるとは思えない。では、運転席でクルマに運転を任せてうたたねをしていた人に謝ってもらうべきなのだろうか?
逆に考えると、自分が自動運転車に運転を任せて寝ていて、目が覚めた時に人を轢いて死なせてしまっていることに気付いたとしたら、どうすればいいのだろうか? 責任は自分にあって、謝罪しなければならないのだろうか? そこを解決しない限り、自動運転車の社会実装は不可能だと思っている。
その点、自動運転タクシーの場合は、少なくとも運営会社が謝罪し、責任を取ってくれると思う。納得がいくかどうかは分からないが、少なくとも怒りの持って行き場所はあるということだ。
日本にも導入されればいいのだが
自動運転車が導入されたら、日本の社会問題のいくつかは解決するだろうし、導入するべきだとは思うのだが、日本のタクシー業界の影響力は強いらしく、当分導入は期待出来ないようだ。導入されるとしても、タクシー会社が中心になって、今のUberのように骨抜き状態で導入されるのだろう(つまり、ダイナミックプライシングで安価になったりはしない)。
西海岸のように、何もかもチャレンジばかりというワケにはいかないとは思うが、影響力のある業界団体のロビー活動が幅を利かせているうちに、ゆっくりと国が衰退していくというストーリーからは、そろそろ決別したいものだ。

(村上タクタ)