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“六代目山口組・中核組織の今をクローズアップ”四代目弘道会「力の源泉」大研究(1)抗争終結から激動の中核組織

“六代目山口組・中核組織の今をクローズアップ”四代目弘道会「力の源泉」大研究(1)抗争終結から激動の中核組織

 司忍組長―竹内照明若頭による六代目山口組の現体制で、その屋台骨を支えるのが四代目弘道会だ。先の分裂抗争では多くの逮捕者を出す一方で、対立組織からは常に目の敵にされ、その存在感の大きさが際立った。そんな弘道会の代替わりから2カ月が経過した今、改めて中核組織の全容に迫る!

 六代目山口組(司忍組長)の中核組織・弘道会の代替わりが発表されたのは9月8日に開かれた同会の会合の席上だった。三代目会長を務めた六代目山口組・竹内照明若頭が総裁職に就任。四代目会長を継承したのは野内正博若頭だった。それに伴い、四代目弘道会を率いる野内会長の六代目山口組直参昇格も伝達されたのだった。

 さらに、野内会長と弘道会直参との「盃直し」の儀式が同月25日の大安吉日に執り行われた。地元関係者によると、

「野内会長と兄弟、親子の契りを結ぶ盃直しの儀式は竹内総裁が後見人を務め、50数人が盃を交わしました。盃を受ける直参衆からも、南正毅若頭をはじめ全員が紋付羽織袴姿で威儀を正し、一家一門で門出を祝う日に似つかわしい晴れやかな、それでいて引き締まった表情が垣間見られました」

 振り返れば、中核組織に陣容刷新の機運が押し寄せるきっかけとなったのが、今年4月のことだった。

 同月8日に、分裂抗争の「終結誓約書」を当局に提出、一方的ではあるが抗争を終わらせた六代目山口組は、その翌日に集結した直参衆の前で髙山清司若頭(当時)が「山口組は前進しなくてはならない」と呼びかけた。その後、同月18日の執行部会で、20年にわたり組織運営の司令塔を任じてきた髙山相談役が若頭の職を退き、その後任に竹内若頭が就いたのだ。他組織関係者が言う。

「新体制となった竹内若頭の下では、山下昇本部長(極粋会会長)をはじめ、執行部のメンバーも世代交代が急加速しました。山口組の若頭は激務で、前任の髙山相談役も収監を前にした13年に弘道会の会長職を竹内若頭に引き継ぎ、山口組若頭に専念している。4月の時点で、いずれは竹内若頭も同様の選択をするのでは‥‥と業界内では推察されていた」

 弘道会の血脈を継ぐことになった野内会長は同会内で髙山相談役がトップを務める髙山組に加入すると、「行動隊長」として活躍。その貢献が認められ、六代目山口組が発足した05年に弘道会直参に取り立てられる。以降、若頭補佐、統括委員長など歴任し、19年に弘道会若頭に昇格。分裂抗争では、敵対勢力との抗争の最前線で躍動していた。

 また、戦闘面だけでなく、弘道会が主体となって推し進めた敵対組織への切り崩しにおいても、大きな役割を果たしてきた。18年9月には、絆會(当時は任侠山口組)・織田絆誠会長の側近だった絆會ナンバー3・北村隆治舎弟頭と、二代目北村組・西川純史組長が揃って弘道会傘下に移籍、野内組に迎えられた。みずから大阪入りして、両者を説得したとも言われ、以後、全国を飛び回り自陣のテコ入れや敵陣への牽制を行ってきた。そうした数々の尽力が評価され、弘道会のトップへと上り詰めたのだ。

配信元: アサ芸プラス

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