【女性たちの北朝鮮拉致事件・前編】
ジャーナリストの岡本萬尋氏が、事件の謎に迫る「シリーズ戦後未解決事件史」。第5弾は、高市政権の樹立で再び脚光を浴び始めた「北朝鮮拉致事件」だ。2022年に5人の拉致被害者が帰国して以来、およそ四半世紀――進展のない事件の闇に、今再び岡本氏がメスを入れる。(全3回中の1回)
自宅から数百メートルの場所で連れ去られ…
北陸有数の繁華街、新潟市の古町から西へ約1キロ、日本海に程近い市立寄居中学校。その日の午後6時半ごろ、部活動のバドミントンの練習を終えた1年生の少女は2人の友達と校門を出た。
周囲は静かな住宅街、海へと伸びる緩やかな坂道を上っていく。友達の1人とはすぐに別れ、もう1人も次の交差点を曲がり家路に着いた。
1人になった少女が坂道を直っすぐ進むと、角に白い壁の家のあるT字路へ至る。夕闇が迫る中、そこを左折し細い路地に入れば、あと100メートルほどで母親が夕食に少女の好物のシチューを作って待つ自宅の玄関を開けられるはずだった。
その辺りの、どこか――。少女は何者かに連れ去られ、北朝鮮の工作船に乗せられた。午後7時ごろ、日本海で船舶用ディーゼルエンジンのものとみられる爆音を複数の近隣住民が聞いている。
真っ暗な船倉で約40時間、泣き叫び壁を掻きむしり続けた少女の両手の爪は剥がれ血まみれだったという。
「静かにしなさい」。蓮池薫さんら、他の拉致被害者も拘束直後に言われたという丁寧すぎる脅迫の言葉を、13歳の少女も聞いたのだろうか。
その少女、横田めぐみさんが1977年11月15日に拉致されて今月で48年。彼女は今年61歳、拉致被害者の親世代唯一の存命者となった母・早紀江さん(89)は「精も根も尽き果てた。『もう会えないのかな、それはそれで仕方ないな』と思うこともある」(今月11日の会見)。もう本当に時間がない。
【関連】北朝鮮サイバー部隊が「日本侵攻」違法オンラインカジノの闇
警察庁が拉致を示唆する871人の行方不明者
日本政府が認定する拉致被害者は17人。北朝鮮が公式に拉致を認めた2002年秋、うち5人が祖国の土を踏んだが以来23年、誰ひとり帰国を果たしていない。
さらに17人の外周には「特定失踪者」という名の、即断できる証拠がないため拉致と認定されていない多くの行方不明者がいる。
現在、警察庁が「可能性を排除できない」と認めるのは871人。特定失踪者問題調査会が作成したリストによると、拉致の疑いのある失踪は敗戦直後から21世紀に入っても続いている。その数は1960年代に急増、70~80年代は特に多い。
行方不明者の中には女性も少なくない。本稿では拉致被害者・特定失踪者の中で女性に焦点を当て、彼女たちの運命を弄んだ北朝鮮の国家犯罪に迫る。
2002年に帰国した拉致被害者5人の証言によれば、北朝鮮で横田めぐみさんは1978年8月から’79年10月に曽我ひとみさん、’83年秋からは田口八重子さんと「招待所」と呼ばれる隔離施設で一時、共同生活を送ったほか、精神を病み入院したとされる’94年3月まで蓮池さん夫妻、地村保志さん夫妻と断続的に同じ地域に暮らし家族ぐるみの付き合いがあった。
また’86年に同じく韓国で拉致された金英男氏と結婚、翌年には一人娘のウンギョンさんが誕生している。
結婚・出産を経てめぐみさんの精神状態は一時、安定した時期もあったというがその後も厳しい状況にあり、蓮池さん夫妻や地村さん夫妻に「日本へ帰りたい」と訴える回数が増えていったという。
そして’94年3月、入院。翌4月に自ら命を絶ったと北朝鮮側は発表(当初の「‘93年死亡」をその後訂正)したが、同国北部・義州の精神病院に向かったはずだとする帰国者の証言と、平壌の病院で自死したという北朝鮮側の主張は食い違う。
また、2004年に遺骨として示した骨がめぐみさんのものでなかった事実は、ご記憶の通りだ。
