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「今の時代だったら命を絶っていたかも」一場靖弘が明かす“栄養費騒動”での壮絶バッシング…43歳、今も痛み止めを打ちながら野球に関わり続ける理由

「今の時代だったら命を絶っていたかも」一場靖弘が明かす“栄養費騒動”での壮絶バッシング…43歳、今も痛み止めを打ちながら野球に関わり続ける理由

肩が壊れた原因は球団からの無茶ぶり

――ともあれ、プロのキャリアをスタートさせた一場さん。ルーキーイヤーは2勝9敗という成績でした。

騒動で謹慎になって1月の自主トレまでほとんど体を動かせない状況で、フォームがわからなくなっていたんです。

その中でも1年目の夏の終わり頃(8月27日)ですかね。西武の西口(文也)さんとの投げ合いで、初めてプロでやっていける感触は掴めました。チームは負けましたけど、9回まで無失点に抑えられた試合です。こっちもファームから上がって最初の先発登板だったんで、必死でした。

――楽天が西口さんの完全試合を阻止したあの試合ですね。その手ごたえどおり、2年目は開幕投手を務め、7勝14敗と負け越しながらもシーズンで193と2/3イニングを投げました。

1年間投げ抜いて普通なら休むところ、球団からオフはウィンターリーグへ行って勉強してこいと言われてしまい。少し肩が張ってたんで無理ですと言いましたし、当時のコーチも止めてくれたんですが、聞いてもらえなかったですね。

――ひどい。

それで2試合投げて肩が痛くなって離脱。わがままで帰ってきたと思われないようにMRIを撮ったら白い水がバーッと溜まっていた。いわゆるインピンジメント症候群。それから肩はもうダメでした。いまだにまともに投げられません。

今思えば、もっとしっかり断ればよかった。でも、入団の経緯もあるからあまり強く言えなかった。勇気がなかったんですよね。

――その後、楽天では結果が出せず、2009年にヤクルトへ移籍。

環境を変えたほうがいいと野村(克也。当時楽天監督)さんが球団に打診してくださって、明治OBの高田(繁)さんが監督をやっているヤクルトに行ったんですが、その時は肩が上がらなくて注射を打ちながらやってるような状態だったので、正直、ヤクルトでの思い出はほとんどないんです。

覚えてるのは宮本(慎也)さんにブチギレられたことくらいかな(笑)。

――何があったんですか?

ある僕の登板日で宮本さんが何度もゲッツーを取ってくれたので、「ナイスプレー!」って声を掛けたら「指差すな!」って(笑)。

――怖い(笑)。

「僕の野球人生は不完全燃焼」

――プロ8年でユニフォームを脱ぐことになり、その後は一般職をいくつか経験。現在は保険代理店で働きながら、ベースボールアカデミーの講師兼取締役社長やBCリーグ所属の「山梨ファイヤーウィンズ」の投手コーチを務めているそうですね。

はい。あと草野球もやってます。子供たちを教えるのに自分の体が動かないんじゃ説得力がないので。

ただ投げると肩が痛いので痛み止めの注射を打ってます。

――草野球をそこまでしてやる人ってなかなかいない気が……。野球を嫌いになってもおかしくない経歴なのに、いまだに野球に携わる理由は?

僕の野球人生が不完全燃焼で終わったからだと思います。きっとプロでやりきってたら、もう野球はやってないんじゃないかな。もちろん好きじゃなければ痛み止めを打ってまでやってないと思いますけど。

――いろんな事情があってプロではやり切れなかった悔しさが今でもあるということ?

でも、それを言ったらもともとの原因は大学時代の自分の甘さ。自分の置かれた立場を人のせいにしちゃいけない。人によっては“運が悪かった”と言ってくれるんですけど、その運を引き寄せたのは自分。そして、それを打破できなかったのも自分なんで。

アカデミーを受講している子供たちには技術面だけでなく、どんなときも人のせいにしちゃいけないということも伝えていきたいと考えています。

――後編では、一場さんの引退後のセカンドキャリアについて伺います。

(後編に続く)

取材・文/武松佑季
撮影/榊智朗

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