ベンチプレスのMAX記録は180キロ。1日8時間のトレーニングを行ない、厳しい減量の末、左目を失明するも治療を拒否し、競技を続行―まさに肉体と精神を極限まで追い込んだ“狂気の男”の異名を持つボディビルダーの合戸孝二さん(64)。若き日の衝動から、素朴な青年が“狂気”へと変貌していったその半生に迫った。(前後編の前編)
ジム入会の動機は「エアロビの女の子を見たい」
静岡県藤枝市にたたずむ「マッスルハウスジム」。そこに還暦を越えてもなお、トレーニングに励む“狂気の男”の姿があった。
その男の名は、合戸孝二(64)。44歳で国内最高峰の日本選手権で初優勝を飾ってから、その後の3連覇を経て、還暦を越えた今でも12人のファイナリストに名を残す、まさに生きる伝説だ。
ベンチプレスのMAX記録は180キロ。それは大人3人が一斉にのしかかってくる重さを腕だけでねじ伏せる力量に等しい。
そんな合戸さんが、トレーニングを始めたのは20歳のとき。ブルース・リー世代ドンピシャの合戸さんも筋肉の鎧をまとうことに憧れたのか、と思いきや…
「そのときは、完全に女性との出会い目的でしたね。それも『女の子にモテる身体をつくりたい』というより『エアロビをやっている女の子を見たい』という不純な動機です。そのため足しげくジムには通ったんですが、女性をジロジロ見ているだけだと、おかしな奴だと思われてしまうので、それなりにメニューを組んでトレーニングはしていました」(合戸さん、以下同)
学生時代はサッカーをやっていたこともあり、それなりに身体も引き締まっていた合戸さん。しかし筋トレを始めてから徐々に身体の変化を感じ、その魅力にとりつかれていった。
「ちょうど『女の子の見学』にも飽きてきて……藤枝市にある本格的なジムに拠点を移したんですが、そこで静岡県ボディビル選手権が開催されることを知ったんです。人混みは嫌いでしたが、半裸の男が並ぶステージを見に行ったとき、全身に衝撃が走りましてね。『俺もこの大会に出たい』って思ったんです」
当時は今と違ってSNSやYouTubeもなく、“ビルダーのバイブル”である雑誌『月刊ボディビルディング』で情報を得ながら身体づくりに取り組んだ。
「その頃はまだ趣味の延長線レベルで、1日2時間ジムでみんなと補助し合いながら楽しくトレーニングして、毎年大会に出場する程度でした。でも3位が3回続いた後、32歳で県大会で優勝したんです」
優勝賞品として蚊取り線香と殺虫スプレーの詰め合わせ1年分を手にした合戸さん。「静岡を制した後は、アジアを制する」。そう息巻いていた彼の前に、“ひと回り年下の女神”が現れたことで、合戸さんの日々は予想外の方向へと傾き始めていった。
“ひと回り年下の女神”出現で1年間トレーニングせず…
ある日の夏、暑気立つ筋トレ男たちであふれるジムに、ふと、さわやかな風が吹いた。
「当時、高校生だった嫁の真理子がダイエット目的でジムに入所したんです。その後、真理子は神奈川の平塚の専門学校に通うようになったので、それを追っかけるわけじゃないけど、静岡の自宅から平塚まで遠距離恋愛が始まり、そこから一切ジムに通わず、トレーニングにもやる気を失ってしまいました」
真理子さんが専門学校を卒業し、合戸さんが33歳、真理子さんが21歳のときに2人は結婚。ボディビルの聖地であるアメリカ西海岸に新婚旅行にも行った。そこで合戸さんは再出発を心に誓っていた。
「県大会優勝したとはいえ、トレーニングを1年以上しないと普通の人と同じ身体つきになってしまって…鏡に映る自分の身体の衰えぶりがどうしても許せなかった。そこで『自分でジムを始めよう』と思い立ち、静岡の実家の一部をくり抜くことに決めました」
静岡の実家をジムに改装すべく、壁をハンマーで破壊し、浴槽を外し、床をはがす。それが夫婦となった2人の初めての共同作業となった。そうして約1年後の1995年暮れ、初代「マッスルハウスジム」がオープンした。

