怨恨であれ、無差別であれ、殺人事件は凄惨なものだが、その中でも人々の脳裏から消えない事件が存在する。それらは通常の事件とはレベルの違う、忌まわしさやむごたらしさに彩られているからだ。
小社から発売された『未解決怪事件の謎』(定価790円)には、そうした惨劇現場が多数紹介されている。今回は、その中から5つの事件をご紹介しよう。
アル・カポネ絡みの抗争事件
●エド・ゲイン農場(1957-1984年)
アメリカ ウィスコンシン州プレイン・フィールド
女性2人を殺害、埋葬された遺体を盗み出し、加工して人皮の仮面やコスチュームなどの“変身グッズ”を作っていたレジェンド級猟奇殺人鬼エド・ゲイン。解体&加工作業が行われていた郊外の家屋は競売当日の早朝に謎の火災により焼失した。
元よりへんぴな場所にあるため広大な農地は今もなお荒れ放題で開発される様子はないが、ひっそりとしたゲインの墓所を訪れる物好きは今も絶えることがない。
●リンカーンパーク(1929年)
アメリカ イリノイ州シカゴ
1929年2月14日、ギャング同士の抗争によって起きた虐殺事件で“聖バレンタインデーの虐殺”の名で知られる現場。シカゴのドンとなったアル・カポネがヒットマンを差し向け、対立組織だったノースサイド・ギャングの構成員4人と一般人3人の計7人を蜂の巣にしたのだ。
事件現場となった密造酒の倉庫は、近隣の老人ホームの駐車場になっている。
●J・Fケネディ暗殺現場(1966年)
アメリカ テキサス州ダラス
1963年11月22日、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、遊説中のテキサス州ダラスで暗殺された衝撃事件。実行犯として逮捕されたリー・ハーヴェイ・オズワルドは一言、「ハメられた」と語り、その2日後、護送中のところをクラブ経営者のジャック・ルビーに腹部を撃たれ死亡。ルビーは「誰かがやらなきゃならなかった」という謎の発言を残して獄中死した。謎は今もなお謎のままである。
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●ネバーランド・ランチ(2005年)
アメリカ カリフォルニア州サンタバーバラ
マイケル・ジャクソンの自宅兼プライベート遊園地として知られ、世界中から招待した子供たちに対して児童虐待を行なった疑惑の場所でもある。マイケルの死後、過去のイメージのおかげで市場価値はさほど上がらず、一時はマイケルの聖地として整備される計画もあったといわれるが、結局は物好きな投資家が約22億円で購入して今に至っている。
●宮﨑勤の家(1989年)
日本 東京都あきる野市
1988年から1989年にかけて、埼玉県と東京都で4人の幼女が誘拐、殺害される事件が発生。犯行声明を新聞社に送り付け、被害者の遺骨を遺族に送るなど異常な展開を見せた事件は宮﨑勤の逮捕により終わりを告げた。
2008年6月に死刑執行となったが、加害者家族が味わった苦痛も相当なものだった。資産家として知られた父親は自殺、一家は離散したという。
忌まわしい事件の記憶は、語り継がれる限り風化しないのである。
週刊実話増刊『未解決怪事件の謎』より一部抜粋
