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三宅香帆「人ではなくアルゴリズムが流行するものを決める時代」“考察”コンテンツはなぜここまで若者に刺さるのか

三宅香帆「人ではなくアルゴリズムが流行するものを決める時代」“考察”コンテンツはなぜここまで若者に刺さるのか

若い世代を中心に人気を博し、いまや純粋な感想やレビューと同じくらい人気ジャンルになっている「考察記事」や「考察動画」。プラットフォームがヒットを生み出す時代に正解を求めて「考察」する若者像を三宅香帆氏が読み解く。

『考察する若者たち』より、一部抜粋、再構成してお届けする

プラットフォームがヒットを生み出す時代

考察。それはYouTubeの動画プラットフォームにおいて生まれた。

推し文化。それはXやTikTokといったSNSプラットフォームにおいて生まれた。

転生。それは「小説家になろう」という投稿プラットフォームにおいて生まれた。

陰謀論や成長幻想。それはYouTubeやSNSのプラットフォームにおいて生まれている。

そう、令和のヒットコンテンツとはもはや、プラットフォームにおいて人びとの欲望が数値として認められたものによってのみ流行するのではないか?

つまり、数値的に「これは見られる、読まれる」と認められたものが上位にあがり、より見られ、読まれるようになる。それがプラットフォームの構造である。

だとすると、私たちはただ面白そうなものをマスメディア(テレビや新聞や雑誌)が提示する社会に生きていない。重要なのは、人びとがクリックしたりリピートしたりする行動をいくらやってくれたか、という数値に変換された結果なのである。

どういうものが数値の結果に出るのか?

それは「観る前から報われポイントがわかっている」ものだ。

たとえばYouTubeであれば、観る前から得られる情報や得られる報酬がわかっていれば、クリックしやすい。WEB小説であれば、読む前からどんなあらすじかわかっていれば、クリックしやすい。ある程度予想しやすい「報われポイント」があると、つい私たちはクリックしてしまう。

昨今は若い世代を中心に、映画やアニメの結末を知ってから(ネタバレ)観始めると言われるのも、得られる報われポイントが事前に確認できるからだろう。

そして、YouTubeの「切り抜き動画」(動画の一部を切り抜いたもの)を拡散させたい場合、報われポイントがあるとさらに拡散されやすい。それによりお金が儲かるようになる。――そう、数値に表れやすい。

情報プラットフォームのアルゴリズムこそが、私たちの「感情の満足だけじゃなくて、ゴールで報われるという満足もほしい」という欲求を高めている。

令和のヒットコンテンツをつくりたいのならば、アルゴリズムに乗っかり、プラットフォームに即した形で、「楽しい実感+それ以外の報酬」を与えることこそが重要なのである。

たとえばドラマの場合、ドラマを観ている時間自体が面白いことは重要だ。しかしそれだけでは駄目で、ドラマを観終わったあとに報酬がほかにあって(それは考察というゲームだったりする)初めて、ヒットコンテンツになりうる。

アイドルの場合、コンサートが素晴らしくて観ていて楽しいことは重要だ。しかし応援するという行為がもう一つ乗っかると、さらなる報酬となる。

そのようなサイクルがプラットフォーム上で回り始めると(たとえば考察系YouTuberが登場する、アイドルの切り抜き動画が出回る、転生ものの動画が多く再生される)、たくさんクリックされ、アルゴリズムによってどんどん拡散されていく。拡散させているのは人の意思ではない。プラットフォームなのだ。現在はそうやってヒットコンテンツが生まれている。

AIアルゴリズムが個別性を失わせる

かつてであれば、テレビや新聞や雑誌を制作する「人」が、どんな作品を大きく掲載するかを決めていた。それがマスメディアだった。

だが、現在は違う。プラットフォームが決めている。つまり、人ではなくアルゴリズムが、流行するものを決める時代なのだ。

しかし、人の意思ではなくアルゴリズムの力だけが増す状況でいいのだろうか?

アルゴリズムとは、ユーザー――発信者も受信者も含め――の個別性を失わせやすい場である。

クリックされやすいものとは「いまの多くのユーザーの報われたさに最適化していったもの」である。

つまり、よりたくさんの人に観られ確実に読まれる、そういうものが大きく取り上げられるようになる。最大公約数的に最適化したものを皆めざすようになる。

人間は皆、異なる感情をもっている。もちろん同じものを見て同じような反応をすることもあるし、同じ漫画を読んで同じ場面で泣くこともある。

それでも、どんな環境、人、作品と出会ってきたのか、何が好きで嫌いかは個人ごとに異なり、それぞれ固有の感情をもった人間であることは確かだ。

しかしアルゴリズムはそれに対して最大公約数的な「正解」を提示しようとする。TikTokであれば、いまできるだけたくさんの人に見てもらえそうな動画が優先的におすすめ欄に表示される。

もちろんユーザーにとってドンピシャではなくとも当たらずも遠からずな興味のあるものなので、そのまま見続ける。すると結局「正解」に近い、最大公約数に近い、間違っていない、そういう単一的なコンテンツが多くなってしまう。

TikTokには流行のエフェクトや音楽に乗せることで、アルゴリズムが優先的に拡散してくれる仕組みがある。しかしそれは、発信の個別性を失わせることになる。アルゴリズムに乗ろうとすると、発信者の個別性なんて言っていられず、最大公約数に合わせるしかない。人間の感情ではなくアルゴリズムに選ばれるとは、そういうことである。

するとどうなるか。受信者の個別性も失われていくのではないか。

自分が好きか嫌いかもわからないまま、短期間の報酬刺激を与えられ続けていると、自分だけの感情がわからなくなっていく。それは、自らの個別性が失われていくことにほかならないのではないか。

私たちはプラットフォームのなかで、どんどん自分らしさを消して「正解に近い最適解」を出すことを求められている。それが数値で結果を出すための最短距離だ。自分らしさは消えていく。個別性が、意味のないものとされる。報われないからいらないものだとされている。

すると、個人の感想なんて、意味のないもの、正解でないなら出さなくていいものとされるのは当然である。「それってあなたの感想ですよね?」という言葉が流行するはずである。この言葉は、そもそも感想や感情なんて意味がない、という前提が置かれていないと流行しない。

間違っているかもしれない個人的な感想よりも、作者のもっている正解を当てるゲームのほうが意味のあるものだと思えてしまう。考察が流行する理由がここにある。その思考こそが、じつは、プラットフォーム社会に最適化した発想なのである。

文/三宅香帆 サムネイル/Shutterstock

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