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【独占インタビュー】F1デビュー果たすレッドブルの新星、18歳リンドブラッドの半生を紐解く。“有言実行”の男がノリスとの約束を守った

【独占インタビュー】F1デビュー果たすレッドブルの新星、18歳リンドブラッドの半生を紐解く。“有言実行”の男がノリスとの約束を守った

2026年にレーシングブルズからF1に昇格することが決まったアービッド・リンドブラッドは、幼い頃から抱き続けてきた「いつかF1に辿り着く」というビジョンを現実のものにした。イギリス出身の彼はmotorsport.comの独占インタビューの中で、自身のルーツやレースキャリアの歩みについて赤裸々に語った。

 レッドブルは12月2日に2026年のドライバーラインアップを発表。アイザック・ハジャーがレッドブルに昇格したことにより空いた姉妹チームのシートは、18歳のリンドブラッドが埋めることとなった。リンドブラッドはレッドブルのジュニアプログラムからF1へ到達した20人目のドライバーとなるが、彼はカート界で脚光を浴びた後、シングルシーターカテゴリーを急速に駆け上がってきた。

 リンドブラッドの人生は目まぐるしく進んでおり、F1に辿り着くことはただの遠い夢というわけではなかった。確率的には厳しくとも、彼にとってそれは幼い頃から「必ず達成するもの」と信じて疑わない明確な目標だった。

「5歳でレースを始めた頃からずっと、F1で走ることが夢だった。だからその夢が叶うことは特別だ」とリンドブラッドは語る。

「僕にはモータースポーツのバックグラウンドがない。僕自身が情熱を持って進んだ道だった。3歳の時に父が初めて僕をモトクロスバイクに乗せてくれたけど、母にとっては少し刺激が強かったのか、長くは続かなかった。でも5歳の時にカートに乗ったら、すぐに夢中になった」

「初めて走った時から、これがやりたいと思っていた。レースに関する最初の記憶は4歳の頃、父と一緒にF1をテレビで観ていた時だ。『どうやったらあれに乗れるの?』と聞いていたのを覚えている」

「なぜかは分からないけど、心の奥底では絶対にそこに行くと信じていた。傲慢だったということではなく、なんとしてもF1に行きたいという強い気持ちがあった。そこからは自分がF1にいない未来を想像したことはない」

 リンドブラッドは父のルーツであるスウェーデンの国籍を持っており、母の家系にはインドの血も流れている。彼は両方のルーツを大切にしているといい、「父方の祖父母は今もスウェーデンに住んでいて、できるだけ会いに行くようにしている。母方の祖父母はイギリスにいるけど、インドの文化を大切にしている。祖母の作るインド料理は最高なんだ」と語る。

 さらにリンドブラッドはこう続ける。

「両親を見て一番感じたのは、僕がレーシングドライバーになれる環境に生まれたのは幸運だということ。残念ながらこのスポーツでは誰もがチャンスを得られるわけではない」

「父は小さな村で育ち、昔は非常に貧しかった。11歳の頃にはトイレ掃除や新聞配達の仕事をしていたと聞いた。今の僕があるのは一生懸命働いてくれた父のおかげなので、心から尊敬している」

「母も同じだ。祖父母はインドとパキスタンの分離独立の影響で全てを失った。彼らは今はパキスタンになったインドの一部に住んでいたんだ。それでも必死に働いてイギリスに移住し、医者になった。祖母は82歳まで働き、今も博物館に肖像画が飾られているんだ」

「自分の家族がこのチャンスを掴むために努力してくれたことを誇りに戻っている。そして僕は同じ苦労をしてきたわけではないからこそ、謙虚でいたいと思う」

「レースは僕と父でやってきたことだけど、母は教育を重視する人だった。学校を少し休むことにも厳しく、父に対して『彼に才能がないなら辞めさせましょう。お金もかかるし、他にやらないといけないこともあるから』と言っていました。でも僕は割と速かったから、諦められなかったんだよね!」

ノリスとの約束

 リンドブラッドはカートで早くからその才能を証明し、2018年にはLGMシリーズとイギリス選手権のIAMEカデットクラスでチャンピオンに。そこからヨーロッパの選手権へと舞台を移し、その後はヨーロッパ・世界選手権レベルのカートレースでOK-JおよびOKクラスでタイトルを手にしていった。2021年にはWSKユーロシリーズのOKクラスでチャンピオンとなったが、前年王者は現在メルセデスで活躍するアンドレア・キミ・アントネッリだった。

 2021年、当時14歳だったリンドブラッドはマクラーレンのF1ドライバー、ランド・ノリスと交流を持った。ノリスが手がけたカートシャシーの発表会が行なわれたカート場に、リンドブラッドも居合わせていたのだ。

「友達に『ランドのところに行ってくる』と言った。『おいおい、そんな度胸あるのかよ』と言われたよ」

「何を言おうとかは何も考えていなかったけど、最初に口から出たのは『僕のことを覚えておいてほしい。5年後に会おう』という言葉だった。ルイス・ハミルトンがロン・デニスに『いつかあなたのマシンに乗る』と言ったことからインスピレーションを得たんだ」

「ランドは少し驚いたような感じで『おお、良い考えだね』みたいなことを言っていたと思う。そういうことを言ってくる子は多かっただろうからね。でもさっきも言ったように、僕はF1に行くと本気で思っていたし、ランドにああ言ったちょうど5年後にそれが実現しようとしているから面白いよね」

 ノリスと出会った5年前から、リンドブラッドのレースキャリアはさらに加速していた。父のステファンが、ポルトガルでテスト中に見知らぬ番号から電話を受けたのだ。

「ホテルで朝食をとっていた時に電話が鳴った。そこにはオーストリア・グラーツからの電話だと表示されていた」とリンドブラッドは振り返る。

「父は妙に落ち着かない様子で、ヘルムート・マルコが僕らに会いたいと言っていると話した。セバスチャン・ベッテルやマックス・フェルスタッペンをF1に導いた人物だと思うとワクワクした」

「面白いのは、外で言われているイメージと僕の経験は全然違うということだ。マルコ博士とは常に良い関係を築いている。彼は言い訳が嫌いで、それは僕も同じ。だからいつも率直に話しているし、それが僕の成長にも繋がった。とても感謝しているし、レッドブルジュニアプログラム全体の支えにも感謝したい」

 1歳年上のアントネッリ同様、リンドブラッドは2022年秋からシングルシーターへと転向してから急速にステップアップしていった。2023年にイタリアF4にフル参戦するとランキング3位となり、2024年はFIA F3に昇格してランキング4位、そして今季はFIA F2で2勝を挙げ(最終戦前)、F1への道が開けた。マルコとレッドブルはリンドブラッドがハジャーの後継者になり得ると確信し、F1でのプライベートテストやシミュレータ作業を経てデビューにこぎつけた。

 ではリンドブラッド本人は、F1挑戦に向けてどれほど準備ができているのだろうか?

「正直言うと、100%準備できているわけではない。でも、それが普通だと思う」

「僕はこれまでずっと急速にステップを上がってきたので、いつだって厳しい環境に放り込まれて、なんとかして解決策を見つけ出さないといけないという状況には慣れている。必ず抜け出す方法を見つけてきたし、今回もそうだと信じている」

 彼がデビューする2026年シーズンは、レギュレーション変革の年であり予測不能な1年となる。しかし本人は焦っていない。

「2026年を成功といえるかどうか……それは、どれだけ努力して学び、最初よりも良いドライバーになっているかで決まると思う」

「新しいマシンになることで全員が白紙の状態になるので、ある意味では新人の僕に有利かもしれない。でも、物事には裏表があるものだ。F1は全くの別世界なので、逆に経験がある方が有利になるという側面もあるだろう。学ぶことは山ほどあるし、僕が集中すべきなのは自分が最大限の力を引き出せるかどうかだ」

 リンドブラッドは引き続き、厳しい環境に放り込まれて実力を証明する必要がある。ただ、彼にはこれまでそれを可能にしてきたという実績がある。F1でも“有言実行”を見せられるだろうか?

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