割り切ってうまく付き合った安倍元総理のリアリズム
対する高市政権では公明党が離れ、二階氏も政界を引退した。二階氏の地元の和歌山県のアドベンチャーワールドには全盛期にはパンダは11頭もいた。永田町では「二階パンダ」などと揶揄もされたが、二階氏が政界を去ったいまでは1頭もいない。
高市総理が尊敬する安倍晋三元総理も「親台湾」で有名な政治家だった。「台湾有事は日本有事だ」と最初に発した政治家でもあり、台湾南部の高雄市には「台湾の永遠の友人」と刻まれた安倍氏の銅像が建てられた。
そんな安倍氏だが、2006年の第一次安倍政権が発足して、最初に訪問した国は中国だ。そこで初めて「戦略的互恵関係」という言葉を提起した。
台湾への親密は総理大臣になってからは表だっては自粛し、対中国では公明の山口代表や二階幹事長に自身の総理親書を託し、議員外交のチャネルをフル活用した。
「安倍さんは本音では中国を好きではなかったと思う。私が渡した贈り物がたまたま『メイドインチャイナ』だと分かって嫌な顔されたことがある。
好き嫌いでいえば嫌いだったけど、お互いに引っ越せないお隣さん同士が日中関係だ。割り切ってうまく付き合っていくしかない。そんなリアリズムが安倍さんの根底にあった」
側近だった議員の一人がそう証言する。
日中首脳会談で高市総理と周辺がとった軽率な行動
それに比べて高市総理はどうだろうか。「台湾有事は存立危機事態になりうる」という国会答弁だけが原因ではない、と自民党の外務省関係者は語る。
発端は韓国での日中首脳会談にさかのぼるという。そこで高市総理と周辺スタッフの軽率な行為が重なったとみている。
一つ目が非公式な場で高市氏と習氏が笑顔で談笑する場面を横から撮って、SNSに投稿したこと。
二つ目が、習近平氏との初会談で、高市総理が香港やウイグルの人権問題を強く指摘したことだ。歴代総理も触れてきたと外務省は釈明するが、中身が違うらしい。
歴代総理は外務省が事前に書いたメモを棒読みする形だったが、何かと自分の言葉で話したがり、官僚の答弁書に赤ペンを入れる高市氏はこのときもこだわったという。加えてモンゴルについては「内モンゴル」と言わずに「南モンゴル」と発言したとも言われている。

