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「誰がお前なんかに教えるか」野村克也監督に突き放された4年間──平石洋介が明かす“後悔しかない日々”で得たもの

「誰がお前なんかに教えるか」野村克也監督に突き放された4年間──平石洋介が明かす“後悔しかない日々”で得たもの

プロ3年目から4年目にかけて、楽天球団で一軍と二軍の狭間で揺れ動いた平石洋介。結果が出ても、努力を続けても、野村克也監督からは辛辣な言葉と怒号が浴びせられ続けた。野村監督に直接「打ち方を教えてください」と頭を下げても、返ってきたのは「ワシが教えるか」の一言——。

平石氏の新著『人に学び、人に生かす。』より、「後悔しかない4年間」と語りながらも、指導者としての礎となった痛烈な経験を紹介する。

「お前はどうせ今年でクビじゃ」

プロ3年目は、一軍に一度も呼ばれることなくシーズンを終えた。そして4年目の2008年もわずか6試合。

その間、春のキャンプ、秋のキャンプと一軍に帯同すれば、その度に「打ち方を変えろ」と言われ続けていた。「変えてるのに……」。本当にどうしたらいいかわからなくなっていた。

2009年は、勝負の年とも言えた。

「お前はどうせ今年でクビじゃ。ワシもわからんけどな」

この年、野村監督から何回も言われた言葉だ。残念だけど、野村監督には苦い思い出しかない。「後悔しかない、4年間」だったと言える。

ただ、指導者として考えると大きな影響を与えてくださった、と断言できる。そのひとつは、言葉を選ばず言うと「こうはなりたくない」という反面教師として。もうひとつは、「考えて野球をする」ことの重要性とその分析だ。

後者については、野球ファンの方ならよく知るところだろうが、簡単に記しておく。

ヤクルトスワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)の監督時代にチームを4度のセ・リーグ優勝と3度の日本一へと導いた。

1999年に当時、Bクラスが当たり前だった阪神タイガースの監督となり、3年連続で最下位だったものの赤星憲広さんら若手選手を積極的に起用するなど、のちに強者として返り咲くチームの礎を築いた。

野村監督はただチームを強くするだけではなく、人を有効に生かす術にも長けていた。能力の高い選手や現役として絶頂期を迎えた選手のみならず、自由契約などで他球団から移籍してきた選手の特徴を引き出し、生きる道を与える。

「野村再生工場」と呼ばれ野村監督の下で再び花開いた選手も少なくなかった。この根源にあったのが考える野球。プロ野球界で一世を風靡した「ID野球」である。

Important Data──「重要なデータ」の頭文字をとった野球は、野村さんがイーグルスの監督となった頃にはすでによく知られていたが、野球というスポーツを多角的に分析する眼力はさすがだった。

どんなプレーにも根拠を持つこと。それは自分のプレーやチームの野球のみならず、相手チームも同じように分析する。

戦術面のみならず、状況に応じた選手の心理まで紐解きながら、より根拠を深掘りさせていく。野村監督は「野球とは頭脳労働だ」と言って「考える」重要性を説いた。

僕自身も学生時代から「能力だけで野球はできない」と頭を使うことを心掛けていたから、そこにある哲学や分析は学びが多かった。

「キサマ、コラァ! 誰が初球打て言うたんじゃ!」

もうひとつの「反面教師」とは、やはり「人」と「人」の関係を築けなかったことが全てだと思う。

6月。僕はまずまずの状態をキープしていた。セ・パ交流戦では21打数8安打、打率3割8分1厘と出場機会は多くなくても結果は出てきていたし、交流戦が終わってからも調子は継続できていた。

27日のオリックス・バファローズ戦はベンチスタートだったけれど、7回に代打で出場、凡打に倒れるもそのままライトの守備に就き、迎えた2度目の打席で、鴨志田貴司からライトスタンドへホームランを打った。

プロとして最初で最後となる一発は、完璧な当たりだった。

この時期は自信を持って打席に立てていたし、凡打だったとしても納得できるバッティングが多かった。

なんとかこの結果を続けなければ……。再び訪れた転機は、珍しく野村監督にメディアを通して褒められた翌日だった。

あれは、7月3日の埼玉西武ライオンズ戦だった。「今、平石が一番、バットが振れている」。そう言われて1番でスタメン出場した僕は、相手エースの涌井秀章から4打数ノーヒットに抑え込まれた。そして、野村監督に言われる。

「お前、いつまでその打ち方するんや」

こうなると止まらない。会うたびに辛辣な言葉を浴び続けた。もちろん、改善をしようとはしている、それでもできないのだ。

悪いことは重なる。

21日。この日は福岡ヤフードーム(現:みずほPayPayドーム福岡)でのホークス戦が開催されることから、地元の大分から家族が観戦に来てくれていた。僕はスタメンではなかったが、出場する機会があれば何とかいい姿を見せたいと思っていた。

出番は5回。先頭バッターで代打として呼ばれた。

スコアは1対4。当時のイーグルスは、「ビハインド時の試合中盤以降、クリーンアップ以外はファーストストライクを見逃すように」という決まり事があった。

試合中盤という基準はアバウトなものだったから、打席に入る前にコーチに確認をした。

「ファーストストライクは待ったほうがいいですよね?」

「なんで?まだ6回じゃないだろ。打てると思ったら行けよ」

コーチたちはそう言った。

「本当にいいんですか?初球で凡打になったら(流れ的に)痛くないですか?」

「いいから行けよ」

そして藤岡好明が投じた、ストライクゾーンに入ってくる甘いストレートを思い切り振り抜いた。打球が一、二塁間へ飛ぶ。一瞬、ヒットになるかと思ったがファーストを守る小久保裕紀さんがスライディングキャッチで打球を捌き、僕はファーストゴロに倒れた。

少し詰まったか……あれこれ考えながらベンチに戻ると、野村さんに言われた。

「キサマ、コラァ! 誰が初球打て言うたんじゃ!」

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