2024年に多発した闇バイトによる強盗事件をめぐって、1都3県の警察の合同捜査本部は5日、指示役として福地紘人容疑者(26)、齊藤拓哉容疑者(26)、村上迦楼羅容疑者(27)、渡邉翔太容疑者(26)の計4人を強盗傷害と住居侵入の容疑で逮捕した。主犯格の福地容疑者の生まれである茨城県を取材すると、浮かび上がってきたのは悪(ワル)の履歴書だった。
小学生の頃から“いじめっ子”「キモい、死ねなどと連呼」
東京から特急で1時間12分。茨城県の県庁所在地である水戸市からさらに約20キロ北上したところにある常陸太田市で、福地容疑者は生まれ育った。
2024年に首都圏を中心として多発した闇バイトによる広域強盗事件で、福地容疑者や村上容疑者らはSNSで「ホワイト案件」「荷物を運ぶだけ」などと、一見すると普通の求人とみえる形で実行役を募集していた。
秘匿性の高いアプリを利用し、「指を折れ」「逃げたら殺せ」など冷酷な指示を出し、実行役を犯行に駆り立てたと見られている。
福地容疑者の逮捕を受けて、同級生の息子を持つ保護者Aは「事件を起こしたのは驚かない。だろうなという感じです」と話した。
福地容疑者は1999年生まれで、小学校へ入学すると同時に地元の剣道教室に入門した。
「剣道教室というのは小学校の施設で放課後に週何度か行われるクラブ活動みたいなもので、授業とは全く関係ありません。皆からは下の名前でヒロトと呼ばれており、当時から粗暴でした。武道の精神とかそういうものは一切なく、チャンバラ的な剣道。型は守らないし、のどに突きをしたり、間合いを測る際にはわざと相手を投げ飛ばしたり していました。それゆえ試合には勝つんですけどね...」(保護者A)
福地容疑者は4人きょうだいの次男で、福地容疑者の実家周辺には何人もの親族が住んでいる。保護者Aは「名家ではある。実際にヒロト以外はちゃんと就職し、真面目に働いているそうです」と振り返る。
「ヒロトの粗暴で、あいさつもロクにしませんでした。私たち保護者があいさつしても、ニヤニヤして睨みつけるだけ。ヒロトの母がよく剣道教室に顔を出していました。母がヒロトを怒ることが頻繁にありましたが、ヒロトが反省することはなかったです。
小学校でもいじめっ子として、気弱な同級生をよくからかったりしていました。ただ、当時は暴力とかではなく、言葉のいじめとして『キモい』『死ね』などと連呼する陰湿な感じでした」(同前)
小学校時代、福地容疑者にいじめられていたという男子生徒の保護者Bが重い口を開く。
「当時のことは本当に思い出したくない。ヒロトは意地悪して相手が落ち込んだり泣いたりしているのを見て楽しむ性格なんです。ヒロトのせいで息子が『学校にも行きたくない』と言った時期もありました。いじめのことはヒロトの親御さんも認知していたと思うのですが、謝りに来ることは一度もなかったです」
スーパーマーケットの敷地内で高3の男子生徒を暴行して……
市内の中学校へ入学すると同時にBさんの子どもへのいじめはなくなった。福地容疑者は小学校から続けてきた剣道に中学校でも取り組み、剣道部に入部。1年生ながら市内大会の中学生男子の部で優勝している。
中学校当時の様子を保護者Cが語る。
「剣道はとても強かった印象です。ただ、素行が悪いことから『あ、あのヤンチャな子ね』と保護者の間では有名でした。昔の金髪ヤンキーといった印象ではなく、眉毛を細くしたり、学校の制服をダルっとした感じで着るなど、今どきのグレ具合という感じです。暴力事件とかは当時は起こさず、ただの落ち着きのない問題児だったと聞いています」
ところが、彼の人生は高校進学と同時に大きく変わる。
「いつからかは分かりませんが、不良少年らと本格的に交友関係を持ち始めたのです。中学を卒業後、水戸市にある農業高校へ進学、でもすぐに中退したと聞きました。この当時から深夜徘徊のほか、飲酒は当たり前。軽い暴走行為も行なっていました。周りからは『ヒロトだもんな』と言われており、あきれられていた様子でした。その後にあんな事件を起こしてしまったのです」
保護者Cの言うように、2015年6月、福地容疑者は当時高校3年の男子生徒に暴行を加えて死亡させたとして傷害致死の疑いで逮捕されることになる。
社会部記者が語る。
「2015年6月28日の未明、常陸太田市のスーパーマーケットの敷地内に高校3年生の男子生徒が呼び出され、少年数人に暴行されて死亡する事件が起きました。傷害致死の疑いで少年4人が逮捕され、福地容疑者は保護処分として処理されるのではなく、成人と同じ扱いでかつ裁判員裁判で裁かれることになるほど、ことが大きい事件でした。
公判で検察側が証拠提出した男性生徒の父の証言には、『病院に駆け付けると、別人のように顔が腫れ上がっていました』とつづられており、顔面を何度も殴る蹴るなどしたとされています」
そして2016年2月、水戸地裁で懲役3年以上5年以下(求刑懲役4年以上6年以下)の不定期刑を言い渡され、福地容疑者は少年刑務所へ送られることになった。

