「ちがう… いつも思ってた事じゃないか 世の中腐ってる 腐ってる奴は死んだ方がいい」
ライター:海燕
オタク/サブカルチャー/エンターテインメントに関する記事を多数執筆。この頃は次々出て来るあらたな傑作に腰まで浸かって溺死寸前(幸せ)。最近の仕事は『このマンガがすごい!2025』における特集記事、マルハン東日本のWebサイト「ヲトナ基地」における連載など。
X:@kaien
note:@kaien
いま、わたしたちの世界は〈正義という名の暴力〉に溺死しかけている。義憤と憎悪がはてしなく連鎖し、裁きと生け贄を求める対立の世紀――。
300万人市場へ拡大した2.5次元ミュージカルの代表作
一冊のノートがある。
長すぎる生に退屈した死神が落とした黒いノート。
そこにひとの名前を書き込めば、その人物はあっけなく落命する。
皆さんご存知の通り『DEATH NOTE』は、この死のノートを巡る殺人鬼と名探偵の対決の物語。
その展開を音楽劇の形で演出したのが、2025年11月24日から12月14日まで東京建物ブリリアホール(豊島区立芸術文化劇場)で公演中の『デスノート THE MUSICAL』だ。
このたび、この傑作ミュージカルは2015年の初演から10周年を迎え再演された。
過去、韓国・台湾・モスクワ・リオ・ロンドンなどで上演される「世界展開」を果たしたこともあるヒット作である。
マンガやゲームを題材に舞台化する、いわゆる「2.5次元ミュージカル」の市場は2015年の時点では観客動員132万人だった。
それが、近年では年間約200作品・動員約300万人規模にまで拡大している。その大きなマーケットを代表する作品のひとつが『デスノート THE MUSICAL』なのだ。
今回、その300万の観客のひとりとなって、この高名な作品を自分の目で鑑賞し、あらためて『DEATH NOTE』という物語のテーマについて考えてみた。
この10年で世界は変わった。インターネットを戦場に、どこまでも無理解と不寛容が広がる分断の時代。
その令和日本に新世界の神をめざす若者が突きつける問いとは何なのか。それはいまの時代、どう受け止められるのか。この機会に捉え直してみたかったのである。
わたしたちの社会は、すでにいくつもの「デスノート的暴力」を抱えこんでいる。
政治、ジェンダー、エンタメ、スポーツ──あらゆる領域で正義が分裂し、互いを敵として攻撃しあっているのだ。
だれもが信じられる完全な正義など存在しないはずなのに、わたしたちは自分こそ正しいと信じ、容赦なく他者を裁きつづける。
その分断の真っ只中で『デスノート THE MUSICAL』はあらためて問いかける。正義はどのように悪へ堕ちるのか、と。いままさに強烈に迫るクエスチョン。

