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『もののけ姫』モロっていつ「首だけ」になった? リバイバルでも分からない謎に絵コンテで迫る

『もののけ姫』モロっていつ「首だけ」になった? リバイバルでも分からない謎に絵コンテで迫る


『もののけ姫』場面カット (C)1997 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, ND

【画像】え、なるほど コチラが「モロが首だけになった」タイミングが分かる『もののけ姫』絵コンテです

今まで気付かせなかったジブリもすごい

 2025年10月24日から、全国のIMAXシアターで期間限定上映された『もののけ姫』は、これまで何度もテレビ放映されてきた作品ながらも、公開3日間で動員10万人以上を記録しました。このヒットを受け、さらに11月7日から2週間にわたり公開館数がさらに増加するなど、令和に再びの『もののけ姫』旋風が巻き起こっています。

 SNS上では、改めて『もののけ姫』に感動した人たちの、新鮮な感想も数多く投稿されました。なかでも1997年の公開当時には悪役に思えた、「エボシ御前」への認識を改める感想も多いようです。

 さて、そんなエボシは物語のクライマックスにおいて、首だけになった「犬神モロ」によって片腕を食いちぎられます。首だけでなお復讐を果たそうとする、モロの鬼気を感じさせる、極めて重要なシーンでした。

 ところで、モロはいつ「首だけ」になったのでしょうか?

 思い返せば、決定的な場面がなく、いつの間にか首だけになっていた気がしてなりません。少し、本編をさかのぼってみましょう。

 まず、このシーンの前の、生と死を司る「シシ神」が、「デイダラボッチ」へと変化する直前です。エボシの石火矢によって、シシ神の首が落とされます。そう、首が斬られたのはあくまでも、シシ神だったはずです。さらにそこから遡り、今度はモロの最期を確認してみます。

「タタリ神」となった「乙事主」に取り込まれた「サン」を、モロは捨て身で救出しました。するとそこへシシ神がやってきて、乙事主とモロの命を吸い取るのです。モロの肉体はこのときタタリ神が放つ憎悪の灼熱で焼かれていましたが、首と胴体は離れていません。なかなかどうして、「決定的な瞬間」が確認できないのです。

 ここはひとつ、「絵コンテ」を確認してみることにしましょう。幸いジブリ作品の多くは、ト書きも含んだ「絵コンテ」が作品ごとに発売されています。さっそく、『もののけ姫 (スタジオジブリ絵コンテ全集11)』(徳間書店)のなかから、モロがエボシの腕に食らいつく該当場面をチェックしてみました。

 重要なのは、「カット1505」の部分です。デイダラボッチからあふれたドロドロの球にモロの身体が包まれる絵の横に、「モロの死体」とト書きが添えられています。このとき、まだ胴体と首はつながっていました。そして「とつぜんカッと目を開き クルッと首だけはねおきる」という、ト書きと絵が続きます。

 そう、この瞬間です。映像だけだとモロの首が胴体からいつ離れたのかが、若干分かりにくいのですが、絵コンテのト書きを読む限り、エボシへと突進する直前にドロドロに触れた胴体と首をモロ自ら切り離している、と見るのが妥当でしょうか。

 なお、モロがエボシに食らいつく瞬間の「カット1508」のト書きには、「球(※ドロドロの球体のこと)などにビクともしない。もう死んでいるのだから」と書いてあります。モロはシシ神によって命を吸い取られてもなお、死を超越した怨念で復讐を遂行した、ということです。

 ここまで「モロが首だけになった瞬間」について述べてきました。正直、筆者は再上映を確認するまで、モロの首について気にしたことなどありません。

 それはすなわち、宮崎駿監督ほか製作陣が創り上げた映像が、瑣末な疑問を吹き飛ばしていたからでしょう。よく、ジブリ作品は「観るたびに発見がある」と評されます。それは、「細かい部分が気にならないほどの迫力が本編に込められている」ということの、何よりの証拠かもしれません。

配信元: マグミクス

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