プロ野球選手の待遇改善、FA制度の導入、スト権確立――。いま当たり前となった“選手の権利”は、40年前にひとりの現役選手が密かに始めた闘いから始まった。男の名は、中畑清。世間から「絶好調男」と呼ばれる華やかなイメージの裏で、彼は生命線を握る球団の圧力、世論の無理解と真っ向から向き合い、労働組合法人としての選手会を実現させた。当時の苦悩と覚悟、そして若い世代に託す思いとは。『労組日本プロ野球選手会をつくった男たち』の著者、木村元彦氏が聞く。(前後編の後編)
前編
“絶好調男”は今でも演じている
筆者が本書を書くにあたっての取材と検証の中で、とりわけ印象に残ったエピソードが、経営者サイドが中畑と折衝を進めていく中で「中畑君、君のバックに誰かいるのか?誰にやらされてるんだ?」と言われたという。
各球団の親会社はどれも日本を代表する企業でそこで労使対応をして来た海千山千の幹部たちも中畑の交渉能力とキメの細かい選手のケアの仕方に驚いた証左である。
前編で紹介した通り米国の選手会はマービン・ミラーという組合活動のプロフェッショナルを事務局長に据えて、球団側の莫大な富の独占を可視化させてブルドーザーのように権利獲得を邁進させていった。
対して日本の場合はまさに現役の選手が矢面に立ち、自らが学びながら、声を上げて革命を起こした。労働問題の事務方のプロではなく、選手当事者が牽引したこと。これは日本球界が誇るべき歴史であろう。
同時に取材を重ねるうちに中畑清=「猪突猛進の単純明快な男」というパブリックイメージが大きくくつがえされていった。組合結成後のメディア対応やファンに理解を促す世論形成についてもこれほど緻密に考えて動いていたのかと感慨を受けた。
––––一般に野球ファンに流通している絶好調男という役割は演じていたのでしょうか?
中畑「ああ、今でも演じているね。だから、鍛え上げられたサイボーグだろうね。
俺は血液もA型で繊細で、今でも意気地なしだし、臆病で怖がり屋だよ。ただ、いろんな状況、いろんな環境で、いろんな人に会って、いろんなことを教わって、それで変わってきた。人のために何かをやることがもう当たり前のような生き方しかできないんだよ。
それが、どんどん表に出ていかなきゃいけないという立場になって、考えさせられて、勉強させられて、嫌々嫌々勉強したようなとこあるけど、でも、それが俺を変えていった」
典型的なA型気質で、繊細な怖がり屋を十二分に自覚しながら、それでも現役時代から自分を鼓舞するように豪快にふるまって来たのは、ひとりの先人の大きな影響だった。
中畑「繊細に見られたくなかったんだ。やっぱり俺には根底に長嶋茂雄の存在があるから。長嶋さんみたいにダイナミックなプレーヤーに見せたいという気持ちがあったんだよ。そういうのを土台に俺は育ってきたからね。
最近、長嶋茂雄賞というのが創設されたけど、この選定は難しいだろうね。自己演出してどうファンを魅せるのか。数字じゃない人だったから。岡本(和真)とか、もの凄い選手だけど、やや地味な分、不利だろうな。とにかく長嶋さんの存在は大きかった」
長嶋氏からは「キヨシ、それは時期尚早じゃないか?」
一方、本書のあとがきにも書いたが、全体の選手のための組合創設などは、本来野球界のスターとして不動の地位を築いていたONが未来のことを見据えて、やらなくてはいけない仕事だったのではなかったか。
中畑「うん。だから組合立ち上げのときはONにも直接、俺はお願いにいったんだ。『ONが立ち上がったら、みんな付いていきます。黙っていても事は成功しますから。お願いします』と言ったけど、「キヨシ、それは時期尚早じゃないか? え?」って軽くあしらわれた。(部屋にかけられた長嶋の写真を指差しながら)このおじさんに(笑)。
でもね、12球団均等に選手の地位が上がって、たまに若い選手に球場で会って「ありがとうございました」とか直接言われると嬉しいね。それとFA以後のあの年俸の上がりようは想像以上だった。
とんでもない世界になってきて、全然アップしなかった俺らの時代って何だったんだろう、あ、じっちゃん(長谷川実雄代表)が大変なことになるぞ、と言ってたのはこういうことか、と思った」
中畑は彼本来の静かな口調になって言った。
中畑「俺がやったことによって球界全体が変わってくれたかな、という喜びは、自分の中だけにはあるのよ。それでなかったら、あんなバカバカしいことやらないよ。1円にもならない。それどころか、あの頃は選手会として使える経費なんてないんだから、全部自腹で持ち出しですよ」
––––脂の乗り切った現役でね。
中畑「うん。野球の神のお告げじゃないけどさ、『おまえ、何してんだ。野球人だろ?自分の仕事、プレーに集中しなさい』と言われているような現役としての時間帯だったわけでね。あの年、俺は苦労したけど、それでも都労委が認定してくれたときは、嬉しかったよ」
この時の喜びを中畑はこんなふうに語った。
中畑「これで野球界がどうあるべきかという課題にようやく注目させられる。すごく保守的で、遅れている世界で、実はいろんな酷い条件が当たり前のように流通していた。その裸にしたい部分が裸にできるようになったんだよ。それまでは裸にしても聞く耳が持たれなかったんだ。
でも組合というバックボーンを作ったことによって俺たちが要求する課題を取り上げてくれるしかなくなったんだ。それは『ざまあ見ろ』っていうぐらいの気持ちだった。やっと分かったか、このぐらいひどい世界なんだ。だから組合作ったんだ、俺らは、ということを大声で叫びたかった」

