国や文化、言葉が違っていても、人と人が向き合う時間には確かなぬくもりが宿るものだと感じさせる出来事がありました。文教大学の学生たちが、デフリンピックに「Deaflympics Team」のメンバーとして出場した東ティモールの選手たちと交流する機会が生まれたのです。耳が聞こえない、あるいは聞こえにくい選手たちと、日本の大学生。置かれている環境は大きく異なりますが、同じ空間で過ごし、笑い合い、互いの活動について語り合う時間には、言語を超えたつながりがありました。
今回の交流には、単なる「国際交流」という言葉では片づけられない背景があります。小さな国の選手がデフリンピックに出場するまでの道のりや、その挑戦を支える人々の存在。そして、その機会を生かして学ぼうとする学生たちの姿勢がありました。スポーツと社会課題の関係を学ぶゼミの活動と重なる部分も多く、学生たちにとっては特別な学びの場になったように感じます。
異なる世界で生きる人どうしが、お互いの思いを知り、理解を深める。この交流が生み出した時間の価値は、きっと参加者の心に長く残るのではないでしょうか。
小さな国の挑戦を支えたデフリンピック参加の背景

デフリンピックは、耳が聞こえない、あるいは聞こえにくい選手たちが参加する国際的なスポーツ大会です。世界中から多くの選手が参加しますが、出場するためには、それぞれの国が大会を運営する組織に加盟している必要があります。
東ティモールは2002年に独立した若い国で、国内にろう者スポーツをまとめる団体が整っていません。そのため、本来であればデフリンピックに出場することは難しい状況にありました。しかし、小規模な国の選手でも挑戦の機会を得られるように設けられた特別な規定により、今回3名の選手が「Deaflympics Team」の一員として参加できることになりました。
今回の東京大会には、世界70〜80の国と地域から約6,000名の選手や関係者が集まりました。東ティモールの選手にとっては、国内ではまだ支援体制が十分に整っていない状況の中でも国際舞台に立てる貴重な機会であり、スポーツを通じて世界とつながる大きな一歩だったといえます。彼らの挑戦を支えた日本財団ボランティアセンターの存在も、安心して競技に向き合える環境づくりに欠かせない役割を果たしました。こうした背景を知ると、今回の交流会が単なる国際交流ではなく、多くの思いと努力が積み重なった “特別な出会い” であったことが、より伝わってきます。
二宮雅也ゼミがこの交流を迎えた理由と、学生たちの学び

文教大学人間科学部の二宮雅也ゼミでは、スポーツを通じて社会課題に向き合う取り組みを続けています。競技大会の運営補助や地域イベントでのボランティアなど、学生が実際の現場に関わる機会も多く、学びを社会に開く姿勢を大切にしてきました。こうした実践の積み重ねは、教室で得た知識を現実の社会に結びつけて考える力にもつながっています。

今回の交流が実現した背景には、二宮教授が日本財団ボランティアセンターの参与を務めていることがあります。さまざまな人をつなぐ役割を担う中で選手との接点が生まれ、学生たちにとっても国際的な視野に触れる貴重な機会となりました。スポーツの場では、競技だけでなく、そこに関わる人や地域、文化など、さまざまな要素が重なり合っています。その広がりを実際に感じられることは、ゼミのテーマとも強く関わる部分です。
学生たちは、競技者として努力を続ける選手の姿勢や、耳が聞こえない環境で挑戦を続ける重みを知ることで、スポーツが持つ社会的な力を改めて考えるきっかけを得たのではないでしょうか。自分たちが学んでいるテーマが、国境を越えた場でも生きていることを感じ取ることができる時間になったように思います。
