・はじまりは遭難者の救助
ところで、どうして宮古島にドイツ村があるのか。バブル時代に各地に乱立した異文化テーマパークの名残かと思ったが、まったく違う。
そもそも話は明治6年にまでさかのぼる。ドイツの商船「R.J.ロベルトソン号」が、現在の「うえのドイツ文化村」沖合で座礁。地元の漁師を中心に救助にあたり、時のドイツ皇帝にあつく感謝されたのだという。
時代が流れ、そんな歴史も忘れられていた昭和4年、当時の記念碑が再発見された。美談として教科書にのるなど「博愛」の精神が全国に広く知られるようになったのだそう。
ああ、だから「博愛記念館」なのか! 近隣にも「シースカイ博愛」「博愛漁港」「博愛記念碑」などのスポットが点在。耳慣れないネーミングだと思っていた。
後世に歴史を伝えるためと、文化交流の場として「うえのドイツ文化村」が誕生。ドイツ本国から正式な許可を得て、見取り図をもとにマルクスブルグ城を原寸大で再現したそう。
2000年の沖縄サミット時にはシュレーダー首相が来島し、現在でも「シュレーダー通り」という地名が残る。へぇぇぇぇ!
現在「博愛記念館」は火・木を除く毎日開館。もし旅行前に検索で見つけて、「ここって何だろう?」と思っている人がいれば、ぜひ入館をおすすめする。素晴らしい展示なのに、外観を見るだけではもったいない。
海で遊ぶことに忙しすぎて……という人には向かないが、ミュージアム好きならきっと楽しめると思う!
