
人類の進化において、「火」を飼いならしたことは、食事を調理可能にし、寒さをしのぎ、夜の闇を照らし、社会的な絆を深めるという、極めて決定的な転換点でした。
これまで、人類が山火事などの自然の火を「利用」していた証拠は100万年以上前まで遡ることが知られています。
しかし、道具を使って自らの意思で「火を起こす」技術、つまり火起こしを発明したのはいつだったのでしょうか?
この長年の謎に対し、英ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の考古学者チームが驚くべき発見をしました、
なんとイギリスの遺跡から、40万年以上前にさかのぼる「火起こしに使われた道具の直接的な証拠」を見つけたのです。
これは従来の最古の記録を大きく塗り替える大発見です。
さらに、この技術を使っていたのは私たちホモ・サピエンスではありませんでした。
研究の詳細は2025年12月10日付で科学雑誌『Nature』に掲載されています。
目次
- 40万年前のキャンプファイヤーの証拠
- 定説を覆す「ネアンデルタール人の知恵」
40万年前のキャンプファイヤーの証拠
今回の発見の舞台となったのは、イングランド東部サフォークにある「バーナム」と呼ばれる遺跡です。
ここはかつて、約41万5000年前に人類の集団が一時的に滞在していた森の中の水飲み場だったと考えられています。
研究チームは、このバーナム遺跡から、当時の人類が使用した石器の他に、注目すべき二つの決定的な証拠を発見しました。
証拠①:繰り返しの加熱で焼けた「炉床」
遺跡の一角には、熱で砕けた握斧(ハンドアックス)が集中している場所があり、その周囲の粘土が赤く変色していました。
この粘土の堆積物を科学的に分析したところ、粘土は一度きりの燃焼ではなく、局所的に、そして繰り返し加熱されていたことが判明しました。
これは、当時の人類がこの場所で、焚き火やキャンプファイヤーのように継続的に火を燃やし、維持していたことを強く示唆しています。
まさに、古代の「炉床(かまど)」の痕跡です。
証拠②:火を起こすための「飛び道具」
しかし、この炉床の決定的な証拠となったのは、その周辺で見つかったわずかな破片でした。
それは「黄鉄鉱(パイライト)」という、鉄分を多く含む鉱物の小さな断片です。
黄鉄鉱は、火打石に強く打ち付けると火花を散らす性質を持っています。いわゆる、初期の着火用の道具の材料です。
このバーナム地域において、黄鉄鉱は自然にはほとんど存在しない極めて珍しい鉱物。
にもかかわらず、それが炉床の近くで見つかったということは、当時の人々がこの黄鉄鉱を遠くから運び込み、火を起こす目的で意図的に利用していたことを示唆します。
これらの証拠は、従来の「意図的に火を起こした」証拠の年代(約5万年前)を大幅に塗り替え、火打石と黄鉄鉱を使った「火起こし技術」が40万年以上前にはすでに存在していたことを直接的に証明する、世界最古の例となりました。
定説を覆す「ネアンデルタール人の知恵」
さらに驚くべきことに、この革新的な技術のパイオニアは、私たちホモ・サピエンスではなく、「ネアンデルタール人」の祖先であった可能性が極めて高いと研究者たちは推測しています。
バーナム遺跡自体からは当時の人類の骨が見つかっていませんが、この遺跡と同じ時代に遡る近くの場所(スワンズコーム)からは、ネアンデルタール人の頭蓋骨の骨が発見されているためです。
ネアンデルタール人は「高い知能」を持っていた
これまで、ネアンデルタール人は私たちホモ・サピエンスよりも劣った「野蛮な人類のいとこ」のように見なされがちでした。
一部のネアンデルタール人が5万年前に火を起こせた可能性は知られていましたが、今回の発見は、その年代を一気に35万年も遡らせることになります。
これは、ネアンデルタール人の祖先が、極めて早期から抽象的な思考と複雑な技術的能力を持っていたことを示しています。
火を起こす道具の発明は、ネアンデルタール人の生活を劇的に向上させたはずです。
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食生活の改善: 調理によって、肉だけでなく根菜類なども食べられるようになり、消化に必要なエネルギーが減り、より多くの栄養(タンパク質)を得て、脳のさらなる発達に貢献しました。
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社会性の向上: 暖かく明るい火の周りに集まることで、より大きな集団での共同生活や絆が強化され、言語能力の向上など、社会進化の触媒となりました。
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技術的な進歩: 火は、より高度な石器を作るための接着剤(ピッチ)の製造など、新たな技術の基盤ともなりました。
火を発明したのは誰が最初か?
この発見は、「最初に火を起こす技術を発明したのは誰か」という長年の議論に新たな論点を投げかけました。
40万年前、私たちホモ・サピエンスの祖先はまだアフリカに住んでおり、遠く離れたヨーロッパのネアンデルタール人とは交流していません。
チームは、バーナムよりも古い火の制御の明確な証拠がまだアフリカでは見つかっていないことから、「ネアンデルタール人がヨーロッパのどこかで火を起こす方法を発明し、それがアフリカに広がった可能性もある」との仮説を提唱しています。
ネアンデルタール人こそが、厳しい環境の中で生き残るため、高度な思考力と技術力で「火を操る」という偉大な技術を発明した革新者だったのかもしれません。
参考文献
Archaeologists Discover Earliest Evidence of Humans Using Tools to Make Fire
https://www.sciencealert.com/archaeologists-discover-earliest-evidence-of-humans-using-tools-to-make-fire
‘It is the most exciting discovery in my 40-year career’: Archaeologists uncover evidence that Neanderthals made fire 400,000 years ago in England
https://www.livescience.com/archaeology/human-evolution/it-is-the-most-exciting-discovery-in-my-40-year-career-archaeologists-uncover-evidence-that-neanderthals-made-fire-400-000-years-ago-in-england
元論文
Earliest evidence of making fire
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09855-6
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

