あべこうじの“ひと言”がきっかけに
――脚本を書き始めたきっかけは何だったのでしょう?
神保町よしもと漫才劇場の前身の「神保町花月」で、ある日、あべこうじさんが「オコチャ、脚本に向いてるよ。書けるよ!」と急に言ってくださったんです。それで一応やってみて、作ったプロットを見せたところ、「実際に舞台としてやろう」となったのが最初です。
神保町花月が始まって2~3年ぐらいのころだったと思うんですけど、その作品を褒めてもらってから、その後も書き続けているという感じです。いまでも「なんであべさんはあんなことを言ってくれたんだろう?」と不思議なんですよね。そのころの僕の、どこが「向いている」と思ったんだろうって。
――脚本の基礎を身につけるという点に関しては、神保町花月の存在は大きかったですか?
それは本当にそうですね。神保町花月では、1時間半から2時間の公演を、年に3~4本書いていました。合計で60本くらいですかね。それって、ものすごく恵まれていたなと思うんです。たぶん、どんなに実績がある人でも、自分たちで主催する舞台となったら、そのペースで脚本を書くのは大変だと思います。でも、それをやらせてもらえる環境があった、数を書かせてもらったというのは、いまにすごくつながっているし、ありがたかったですね。

――もともと、ドラマやお芝居は好きだったのですか?
それが、まったくそうではないんです。本を読まないとか、ドラマを見ないというわけではないけど、本当に平均的だと思います。むかしバイト先に、TSUTAYAでビデオを端から借りていく人がいたんですけれど、当時は「この人、意味わかんないな」と思ってました。すごく一般人的な感想ですよね。僕はそのレベルです。
でも、いまになると見ておけばよかったなと思います。いろいろな作品を読んだり、見たりすると、読解力が育つじゃないですか。そして読解力が身につくと、人生楽しくなるものがいっぱいある。読解力がなくて理解ができず、楽しめないことが多いというのは、もったいない感じがしますよね。
“考えごと”が自分の脚本の出汁
――“脚本を書く”という作業のために、日々やっていることはありますか?
唯一やっているのは、たぶんみんなと同じで、考えごとです。記事には載せられないようなことばっかりなんですけど(笑)。答えが出ないようなことを、1人で考えるのがクセというか、好きなんですよね。
自分の中で、それをいろいろと考えて、「もしかしたら、そうなんじゃないか」とか結論に至って「ハッ!」とするとうれしい。マジで1円にもならないけど、時間はつぶせる。それが、自分が書く脚本の「出汁(だし)」みたいになっているのかなとは思います。
たとえば、「新聞への投書蘭」がSNSで流れてきたことがあったんですけれど、「いま人生がうまくいかない。もっと親の言うことを聞いておけばよかった。自分は終わりだ」みたいな内容で、文字数の関係でそう書いたのかもしれないですけど、それを読んでこう思ったんです。
「うまくいっていない人生の中にも、人に感謝したくなる瞬間とか、いい夜とかあったはずだろ。その人生でしか出会えなかった優しいこともあったはず。それを全部なしにして、いま自分がうまくいっていないと、なにを嘆いているんだ」と。つまり、気づけるか気づけないかだと思うんですよね。

実際、僕自身もうまくいっていないから。うまくいっていないって、結局、世間にいまのままじゃダメだよ、と否定されている状態なんです。でも、それって面白い面白くないではなく、仕事になるかならないかの基準なんですよね。その軸で世間が否定していても、自分でさらに否定することではない気がするんですよね。
――自分の脚本家としての“味”はどう考えていますか? たとえば会話の面白さとか、余白、展開の面白さとか。
ほんとに自分ではよくわからないんですけど、「会話がいい」と言われたらうれしいなと思います。会話を書くのは好きなので。“好き”と“上手い”は別なんですけど、好きだからこそ、そこが味だと思ってもらえたらいいなと思います。