第2章:「今年こそ、てっぺんを」。リベンジに燃えた怒涛の準備期間(2025年)
▲写真:会場となる東京スクエアガーデンの広場。嵐の前の静けさ
2025年。昨年の悔しさ(と楽しさ)を忘れた者は、誰一人としていませんでした。
「今年こそ、あの場所に忘れ物を取りに行こう」
その合言葉のもと、社内で参加者を募ると、昨年の倍以上の仲間が集まってくれました。
エンジニア、デザイナー、データサイエンティスト、マーケター、コーポレート部門のスタッフ……。普段は交わることの少ないメンバーが、「綱引き」という旗の下に集結したのです。
あまりにも参加希望者が多かったので、今回、私たちは2チームで出場することを決意しました。「みんなの銀行Aチーム」「みんなの銀行Bチーム」です。
「決勝まで当たらないといいねー」
なんて、この時はまだ、のんきに話していました。
私たちがまず取り組んだのは、昨年の敗因分析です。
「後半、体幹がブレて力が伝わっていなかった」
「声が小さくなって、タイミングがズレた瞬間があった」
「単純に、フィジカルで負けていた」
2024年大会の写真や動画を見返し、出てくる課題の数々。悔しさがこみ上げると同時に、やるべきことが明確になりました。
練習場所は、オフィス(東京スクエアガーデン)にあるふくおかフィナンシャルグループ傘下の銀行員たちが利用する「コワーキングスペース」。
▲写真:オフィスのコワーキングスペースで「綱を引くフォーム」を確認している様子
本物の「綱」は高価なため、練習用として似たような長さのトレーニングロープを通販サイトで購入し、「綱を引くフォーム」を徹底的に確認します。
重心を低く、板のように斜めに保つ姿勢を維持するだけで、翌日は全員が生まれたての小鹿のように脚を震わせていました。
大会直前には、仕事終わりに近所の「日比谷公園」に集まり(綱は重いのでタクシーで運搬)、フォームの最終調整を行いました。
▲写真:日比谷公園で静かに闇練中
薄暗い街灯の下、本番さながらの熱気で互いに(静かに)檄を飛ばし合う。その光景は、端から見たら異様だったかもしれません。でも、私たちは本気でした。
綱引きは、ただの力勝負ではありません。緻密な戦略が勝敗を分ける、奥深いスポーツです。私たちのチームは、体重が重いメンバーを後方に配置する基本的な陣形に加え、「開始3秒の速攻」「揺さぶりをかける中盤の持久戦」「ラスト5秒の総攻撃」といった、いくつかの作戦パターンを用意しました。
白熱する作戦会議。そこには、役職や年齢の壁は一切ありません。
「このタイミングで一気に引くのはどう?」
「いや、相手の体勢が崩れるまで耐えるべきだ」
普段の業務では見られないような(?)、真剣な表情での意見のぶつかり合い。このプロセスを通じて、私たちはただの同僚から、背中を預け合える「チーム」へと変わっていきました。
第3章:運命の日。京橋に響いた歓声と、残酷な現実
▲写真:参加企業全員で準備体操。お揃いの「みんなの銀行Tシャツ」は紫のビブスで見えない
そして迎えた10月9日、予選リーグの当日。
会場となった東京スクエアガーデンは、仕事帰りのビジネスパーソンや地元の方々が集まり、異様な熱気に包まれていました。黒色の「みんなの銀行Tシャツ」に身を包んだ我々は、円陣を組み、奥島監督が何かを叫びましたが、それは周囲の熱狂的な歓声にかき消されました。
「AチームもBチームも、てっぺんで会いましょう!」
「「「オーーーッ!!」」」
▲写真:「みんなの銀行Bチーム」の闘い。右側には熱い声援を送る仲間たちが!(提供:京橋 企業対抗綱引き大会運営事務局)
しかし、勝負の世界は、あまりにも厳しいものでした。
私が所属する「みんなの銀行Bチーム」は、初戦から厳しい相手と当たり、一進一退の攻防の末、惜しくも敗北。続く試合でも流れを掴むことができず、予選リーグ敗退という結果に終わりました。
あっけなく、私たちの2025年が終わりました。何もできなかったな。応援してくれた仲間に、申し訳ないな。そんな想いが胸を締め付けました。
一方、「みんなの銀行Aチーム」は、Bチームの想いも背負い、順調に勝ち進んでいました。一戦一戦、チームの結束力は高まり、予選リーグを2位で通過! 別の日に行われる決勝リーグへの切符を掴み取ったのです。
「Bチームの分まで、闘ってきて!」
悔しさを押し殺し、Aチームにエールを送るBチームのメンバー。私たちの夢は、Aチームに託されました。
