
「恐怖分子」「牯嶺街少年殺人事件」「カップルズ」などで知られる台湾ニューシネマを
代表する巨匠、エドワード・ヤン。2007年に59歳で惜しまれつつ亡くなった彼の遺作であり集大成である映画「ヤンヤン 夏の想い出」が公開から四半世紀を経て4Kレストア化され、2025年12月19日(金)に日本公開になることが決定している。この度映画監督・呉美保、映画ライター・編集者の月永理絵が登壇した先行特別上映会が実施。2人による熱いトークが繰り広げられた同イベントのレポートが到着した。
■「ヤンヤン夏の想い出」とは
「ヤンヤン夏の想い出」は、少年とその家族が経験するひと夏の出来事を、時に残
酷で時にまばゆいほどの映像で描いた物語だ。台湾と日本合作で製作され、台北と
東京、熱海を舞台としイッセー尾形ら日本の俳優陣も参加している。
本作は2000年に第53回カンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞した他、東京国際映画祭、トロント国際映画祭等世界の映画祭にて上映され、今なお多くの批評家や監督からも熱狂的な支持を集めている。2016年の英国BBC主催の「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第8位に選出、2023年にはハリウッド・リポーターによる「21世紀の映画ベスト50」で堂々の1位に輝き、北米のレビューサイトRotten-Tomatoesでは現在批評家からは97%フレッシュ、一般のユーザーからは91%という高スコアを維持(25年8月27日時点)しており、色褪せぬどころか、時を経てなおその評価が高まり続けている作品だ。
この比類なき傑作が4Kレストア化され、2025年にカンヌに帰還。第78回カンヌ国際映画祭クラシック部門のオープニング作品としてお披露目され、惜しみない賛辞を受けた。いよいよ公開月に入った本作の劇場一般公開に先駆け、【アフタートーク付き特別先行上映会】を開催。アフタートークには、最新作「ふつうの子ども」が公開中の映画監督・呉美保、数々のメディアで映画評やコラムを執筆する映画ライター・編集者の月永理絵が登壇し、「ヤンヤン夏の想い出」をこよなく愛する2人による熱いトークが繰り広げられた。
■「観る度に発見がある」名作映画の証拠
173分という映画を鑑賞し終えて、充足感に満ちた様子の会場内。そんな観客の前に立った呉監督は「偉大なるエドワード・ヤン監督作品の中でも一番好きな映画の…もちろん全部の作品が好きなんですが。このような場に立たせていただけることが本当に幸せです」と感慨深い様子であいさつする。
大学卒業後は大林宣彦監督のスクリプターとして働いていたという呉監督。2000年12月に本作が劇場公開された頃は非常に多忙だったため、当時は劇場で観る機会を逃してしまっていた。そのため初鑑賞はDVDだったというが、その後も何度かDVDで見返していったという。そんな中で、2010年代に35mmフィルムでのリバイバル上映が行われ、劇場で鑑賞することが叶った。そしてこのたび、あらためて4Kレストア版で鑑賞することになるなど、折に触れて本作に接してきたそうだ。
「この間も4Kレストア版を観たんですが、本当に一瞬でしたね」と振り返った呉監督は、「自分の中でのいい映画の基準というのが、映画を観ている最中にトイレに行きたくならないか、眠くならないか、というところにあるんですけど、3時間近くとても静かな映画なのに一瞬で終わったように感じられて。ビックリしました」と笑ってみせたうえで「本当に観るたびに発見があるんです」と付け加える。
一方、この日の聞き手を務めた月永氏が本作を鑑賞したのは2001年か2002年頃…ちょうど大学に入ったばかりの頃だった。「その時、実はそんなにピンときてなかったところがありまして。いい映画だけど思ったより地味だな、と思っていたんです。それこそ当時、VHSで見た『牯嶺街少年殺人事件』の方がガツンときていたくらい」と振り返るも、「だけどそれから年を経て、あらためて見直した時に、本当にぼう然とするくらいに感動してしまった。やはり年を経てから観たことで初めて再発見できることもあるんだなと思いました」と明かす。
そしてその意見に深くうなずいた呉監督。劇中では、ヤンヤンの父親NJが若き頃の初恋の相手シェリーに再会。過去のすれ違い、ほろ苦さを思い出し、心が揺らぎながらもふとした拍子に「愛していた人は君だけだ」と告げるシーンがあった。そのシーンについて「今回、改めて4Kレストア版になって観させていただいた中で一番感情が動いたシーンはそこでした。4Kの鮮明さに圧倒されつつも、それ以上に物語にグッと入っていったんです」と語る呉監督だが、その理由を説明していくうちにその言葉には次第に熱が帯びてくる。
「それはつまり何ですか?自分の妻のことは一度も愛さなかった、というようにも捉えるじゃないですか。昔と違って、わたしも一応既婚者なので。まさかの妻の立場で見てしまったと。今まではどちらかというと娘目線だったり、もしかしたら愛人目線だったりで、『痛いな、ヒリヒリするな』という風に見ていたのが、年を重ねることで明確な“怒り”に変わっていった。その時に一番感情が動きました。それが4Kレストア版での発見でした」と力説すると会場からは思わずクスクス笑いが。
そして呉監督のNJに対する怒りはさらにヒートアップしていく。「そういう視点で見ていくと、あの過去の初恋の人のことは何度か抱きしめたり、手を繋いだりもしているんですけど、たぶん奥さまのことは一度も触れてなかったんじゃないかなと。奥さんが帰ってくる時にもふたりの間には距離があったし。ハグのひとつでもすればいいのに…後半はもう“怒り”ベースで観ていました。本当に観れば観るほど発見がすごい映画なんです」とたたみかけて、会場を笑わせた。
■シナリオだけじゃなく、演出とカット割りが生む芸術
その後も映画監督の視点で、実際の本作のシーンをひとつひとつ取りあげながら、次々と語っていく呉監督。それは前のシーンの音を、次のシーンに食い込ませるようにした音の使い方、複数のエピソードをうまく交錯させた編集の巧みさ、ガラス越しのカットを通じて孤独を演出した撮影など仔細に渡っており、そしてそれらの技法のひとつひとつが、物語を伝えることを助け、的確に作用していると指摘する。
その後もひとつひとつのシーンを思い出しながら、「ここが良かった」「あそこのシーンはすごい」といった話が次々と飛び出すふたり。そんな中で「この日本のタイトルからすると、ヤンヤンという少年の映画のようにも思えるけど、意外とヤンヤンって映画の中ではしゃべらないし、全シーンに出てくるわけでもない。むしろ大人たちのドラマの方がどんどん動いていきますけど。ここぞという時にヤンヤンのすごくいいシーンがやってくるんですよね」と指摘した月永氏。
「そうですね」とうなずいた呉監督は、「エドワード・ヤン監督に息子さんが生まれたのはこの映画が公開された2000年なので、撮影の時はまだお子さんはいらっしゃらなかった。それでもご自身のさまざまな幼少期の記憶がきちんと体の中に染み付いていて。登場人物をちゃんと多面的に、複眼力を持って描かれているのかなと思うんです。本当に小さい子からおばあちゃままで、全く違和感がない。すべての人が生きていて、すぐそこにいる人かのように感じました」と指摘する。
そんな中、呉監督は、自身の最新作「ふつうの子ども」を制作する際に「ヤンヤン夏の想い出」からの影響があったことを明かす。「今回のレストア版のポスターも本当に素敵なデザインで大好きなんですけど、その前のポスターでは、先生を睨んでいるヤンヤンの顔が写し出されていたんですけど、その表情がすごく強烈で、ビジュアルがとにかく大好きだった」という呉監督。
今回の「ふつうの子ども」で寄りのカットをいろいろと撮っていた時の話を振り返り、「プロデューサーとも『これはヤンヤンみたいじゃない?』なんて話をしていました。それはビジュアルだけじゃなく、子どもを通して社会を描くという意味でも、目指していたところだったので。計らずも私の指針になっていました。もちろんストーリーは全然違うし、それこそ(「ふつうの子ども」は)子ども中心の世界の話ではあるんですけれども、自分の息子たちを見ていても、子どもの社会と大人の社会は地続きなんだということを常日頃感じさせられているので。そういう意味では目指すべきところだったのかなと思っています」と語った。
そして呉監督はエドワード・ヤン監督が生前残した言葉に触れて、非常に染みたという。それは「この映画を観た時に、偉大な監督の映画を観たと思ってほしくない。友達とおしゃべりをしているような感覚で見てほしい」という言葉だったといい、「私も映画を作る時は高尚なものを作ろうとは全く思っていなくて。自分や周りの人たちの人生の心の機微をすくい上げて、自分の年齢で描けることを積み上げていきたいと思っているんです」と映画監督としての共感を述べる。
そして呉監督は「エドワード・ヤン監督の映画は本当に新しく感じられる。もちろん時代の風景や、衣装や装飾などは懐かしいなと思うところもありましたけど、でもそこに流れている空気感というものは、年月を経ても常に洗練されていて。今見ても新しいと思える感覚であり、尚かつ普遍的なものなんです。それは彼の他の映画もそう。これはすごいことだなと思いますね」と観客に語りかけた。

