
映画『ウィッシュ』場面カット (C)2023 Disney. All Rights Reserved.
【画像】え、「かっこよすぎる」「ちゃんと悪役顔」 コチラが『黒執事』の作者が描いた『ウィッシュ』マグニフィコ王のイラストです
他人の夢への「勝手なジャッジ」がある
2025年12月19日の「金曜ロードショー」で、2023年公開のディズニー映画『ウィッシュ』が地上波放送されます。ディズニー100周年を記念して作られた同作は、作中で「願いを支配する最恐のヴィラン(悪役)」とされる「マグニフィコ王」へ「同情する」「かわいそう」という意見のほか、「ヒロインの方が悪人では?」という声を多く見かけてきました。
筆者個人としては、マグニフィコ王は「ちゃんと悪役として描かれている」「同情してしまうことも含めて味わい深いキャラになっている」とは思います。その理由を記していきましょう。
※以下、『ウィッシュ』の結末を含むネタバレに触れています。
悲劇を経て努力を続けていた
どんな願いもかなうと言われる「ロサス王国」を統治するマグニフィコ王は、表向きには「魔法で国を治め、国民から信頼され、みんなの願いを集めていた」名君ですが、実際は「国のためになる願いだけを叶え、それ以外の願いは叶えないまま」という状態にしていました。ヒロインの「アーシャ」は、マグニフィコ王が願いを独占している事実を知り、願い星である「スター」や友人たちとともに、国民へ願いを返すための行動を起こします。
そのマグニフィコ王には「幼い頃に家族を盗賊に殺された」悲劇的な過去があり、物語の始まりでは「若者(マグニフィコ王)は願いを叶えることがどんなに難しいかがわかっていました」「休むことなく世界中の魔術を学びました」などとも語られていました。
マグニフィコ王が自らの悲劇を糧(かて)にして、国民を幸せにするために努力を重ね、それゆえに王国が平和を維持できていたのは事実でしょう。しかも、アーシャが真実に気付くまでは、王国の誰かが不幸になっているような描写もありませんでした。
そもそも、マグニフィコ王が暴走を始めたのは、アーシャが真実を知ったがゆえの行動がきっかけです。さらに、マグニフィコ王は、最後に杖のなかに取り込まれ地下牢に幽閉されるという顛末を迎えています。彼が悲しい過去を背負っていることは事実ですし、「マグニフィコ王が反省して、より良い王になろうとするラストのほうが良かった」と思う人もいるでしょう。
本作に対して、「よく考えたら全然悪者でもなんでもない良き王様がテロリストに悪認定されて訳分からん星と一緒に国家転覆される話」「誰よりも国益のためだけに身を粉にして働いて働きすぎて闇堕ちした王様を、否定し排除するのが正義か?」といった声があがるのも、なるほどうなずけるものがあります。
他人の願いを勝手にジャッジしている
そのマグニフィコ王が国民の願いを管理している理由は、「国を転覆させるような危険な願いを叶えさせないようにするため」でもありました。
しかし、アーシャの祖父「サバ」の「マンデリン奏者として皆に支持される」という願いは、客観的にはまるで危険には思えないものです。マグニフィコ王は「国家のためになる」「ならない」というジャッジを勝手に下し、他人のささやかな願いまでもを奪っていました。
そんな自己中心的なマグニフィコ王の思想がはっきり表れたのは、「無礼者たちへ」という曲のソロ歌唱シーンです。彼は人形の家に火をつけて倒壊させ、「住む場所もなく困っているなら私の城においで !もちろん、タダでいい!」と告げ、さらには「与え、与え、与えまくれば、満足だろう!? だが忘れるな、感謝の気持ちを!なんて無礼な!恩知らずめ!」とまで言っています。
人形相手とはいえ、「貧困となる理由をわざと作ったあげく、困窮した状況に付け入ろうとする」「国民をコントロールまたは搾取をしている立場でも『与えている』と自負し、それについて感謝しないことを『無礼』だとさえ思っている」という点は、やはり独善的です。この歌唱シーンではそれが、実際に他人の願いを勝手にジャッジして独占していることと、そう変わらないのだと、示されていました。
だからこそ、一部ではマグニフィコ王へ「安寧の代わりに願いを奪うって結構な大罪だと思うんだが」「王様が完全な被害者っていうのもそれはちょっと違うんでは?」といった意見もあります。
また、妻の「アマヤ王妃」はマグニフィコ王に、「出会った時からあなたを信じ、ともに王国を支え合った。それ以上に大切なものなんてない」と告げていました。マグニフィコ王には、「考えや行動を改めるチャンスがあった」はずです。それにも関わらず、禁断の魔法にまで手を出して、より狂気を加速させて暴走する様ははっきり愚かですし、やはり彼はちゃんと断罪されるべき悪役として描かれていると思えます。
アーシャの行動が「即物的」にも思える?
一方で、主人公・アーシャにも猪突猛進な危うさがあり、彼女の行動をほぼほぼ肯定してしまうことにも、問題があるでしょう。
彼女は「誓って言うけど、私の(みんなの願いを解放するという)願いは、誰にとっても危険じゃない」と言っているものの、後に裏切られる友人の「サイモン」からは「そう言い切って大丈夫か?」と返されていますし、現実主義な性格の「ガーボ」からは「アーシャのおかげで逃亡者だ!」と責められる場面もあります。
そもそも、悲劇を経て努力を重ねて魔法使いになり、国を統治したマグニフィコ王に比べると、かつてのディズニーの名作『ピノキオ』のように「星に願い」をしたら、本当に星(スター)や動物たちが彼女を助けてくれるという展開は、かなり即物的に見えてしまいます。
また、アーシャの作戦は友人たちやアマヤ王妃ら仲間の協力により上手く行きすぎているため、彼女自身の主体的な行動よりも「他力本願」な印象が目立っているようにも思えました。仲間との絆はもとより、「自分自身の力」で彼女が願いをかなえる過程を、もっと強調しても良かったはずです。
とはいえ、アーシャは物語の後半で「何かを変えられると思ったり、願うんじゃなかった」と後悔し、「私が始めたの。私が終わらせる」という決意も語っています。決して彼女の言動が、全肯定されているわけでもないでしょう。
『ウィッシュ』には、マグニフィコ王の統治の描写から「自分の大切な願いを他人に全部任せてしまってもいいのか?」「でもそのために平和が維持できればそれでもいいかもしれない」などと考えが揺さぶられ、アーシャの行動に関しても「多くの人の願いのために行動することは間違ってはいないのでは?」「そのために悪い願いも叶えられて国家が危険にさらされるのでは?」と、見る側が葛藤させられる部分があります。そういった点も、本作の面白さと言えるでしょう。
